星野仙一の鉄拳制裁と松本人志問題、時代遅れの「芸風」はなぜ延々と生き続けるのか絶頂期の星野監督。中日ドラゴンズの入団発表記者会見で、李鍾範内野手と握手する Photo:JIJI

松本問題を見ていると思い出す
1990年代の星野仙一ブーム

 私は「文春砲」という言葉が嫌いです。雑誌は、正義を振りかざすメディアだとも思っていません。在籍当時の社長の危険な経営に反旗を翻して文春を辞めました。ですから松本人志氏の報道に関しても、文春の肩ばかり持つつもりはありません。双方が泥仕合になってくるのを見るにつけ、週刊誌OBとして、そして名誉棄損裁判の体験者として、周囲と考えることが少し違ってきました。

 松本人志問題におけるあの大阪でのSNSの盛り上がり(8割は松本氏側ですが)を見ていると、私は1990年代の中日ドラゴンズ、星野仙一ブームを思い出してしまうのです。私は、当時から野村克也監督とも親しく、彼が就任する以前の弱いスワローズのファンでしたが、中日ドラゴンズと星野仙一ブームが野球ファンとして、本当に不愉快でした。

 あのとき、中日球場に詰めかけたファンたちのほとんどが、熱狂的に大きな旗を振り回していました。旗に書いてある大きな文字がおぞましいのです。「鉄拳制裁 星野!」。

 旗を振り回すだけではありません。大声で老若男女が「鉄拳制裁」を叫び、盛り上がっています。もう20世紀も終わろうとしているのに、帝国陸軍のようなパワハラ肯定、暴力肯定です。暴力制裁で選手が上達するという異様な考えに、何万人もの人間が疑問も持たずに騒いでいました。単にファンが騒いでいるだけではありません。実際、星野監督は鉄拳をくだしていました。

 そのころ、中日ドラゴンズで大活躍した元大リーガーの内野手バーンス・ローは打率3割を打ったのに、次シーズン、日本に戻ろうとしませんでした。実は文春は、辞めた外国人選手を追いかけてオフレコで話は聞けたのですが、とにかく「星野の体罰が許せない。あんな野蛮な国にはいたくない」というのが、彼が高額年俸でも来日しない理由でした。イニングが終わると、ベンチ裏の見えないところに、主に正捕手の中村武志氏が呼びつけられ、配球をめぐって往復ビンタを繰り返す。コーチ陣もそれに習って殴る。ときには他の投手も殴られる(捕手は顔がフェースガードで隠れるので顔面、投手は腹が中心だったようですが、これじゃ、ヤクザの暴力そのものです)。

 当時、星野中日とよく優勝争いしていたのは、正反対のID野球を掲げた野村監督です。無名校でテスト生上がりの野村監督はアマチュア時代にもそんな目に遭ったことはなく、「大学まで出ているのに星野はアタマで野球をやっていない。こんなことで日本の野球は世界と勝負できるのか」と怒っていました。