これは、人間性の問題ではなく、分離・分断・分業をして権利を与える、現在の社会システムの問題だと考えられます。

畑も人も育っていく
「ファームシャングリラ」構想

 ファームシャングリラはそうではありません。自分のために活動することが人のためになり、ほかのメンバーが活動することで自分が恩恵を受けるという仕組みによって、互いに助け合いの精神が芽生えます。

 このような実践を続けることで、自然が命をつくって共生しながら互いの命を育み合っていることや、すべてがつながっているのだということを、身をもって感じることができます。私たち人間の命も地球生命体の一部に過ぎないのだという、自然の絶対真理も自覚できるのです。

 しかし時を経て、この構想に若干の変化が生まれてきました。畑を分けるかどうかよりも、もっと大切なことがあるのではないかと考えるようになりました。私たちは何かを否定するのではなく、高めることを目指すほうがより自然に近づくのではないかと思い始めたのです。

写真:農園の仲間たち同書より

 貸し農園の例は小分けが論点でした。小分けにするよりもみんなで共働作業をするほうがいいと思っていましたが、たとえ小分けであっても畑も人も育っていく環境をつくっていくほうが、一歩先の世界にたどり着けるのではないかと考えるようになりました。一人ひとりが自分のエリアを良くしながら、自分のもっているノウハウや感じたことを周囲の仲間とシェアするコミュニティになっていけばいいと思ったのです。

 よく考えていくと、小分けがダメなのではなく、小分けされたことで自分の都合しか考えず、やりたいようにしかやらない人間が問題だということに気づきます。

自然に対して感動する場面を
仲間と共有すること

 種を土に落とすとき、雑草を抜くとき、収穫するとき、そうした農作業の動きをしていくなかで何に気づき、自分自身の魂がどう応答したのかをしっかりと見つめていくことが大事です。