「息子の話では、この日を境に、クラス全員から無視されるようになったそうです」

 このクラス全員から無視されるようになった日、レン君は帰宅後、「見える景色の色が灰色になった」と言い、泣きじゃくったそうだ。

 だが、いじめの構図そのものは昭和や平成と変わらずとも、やはり時代は進んでいる。それこそ昭和の時代のように、中学生の男の子だからといって黙って耐えるようなことはない。「いじめられたら、即ママに報告」という時代だ。

「だから、昭和や平成の感覚で捉えると、比較的、素早い解決へと繋がりました」

 こう話すレン君ママだが、実際、そこまでの道のりは、想像を絶する大変さで、それこそ「日々戦いだった」という。

最も高かったハードルは
学校に「いじめ」を認めさせること

 まず、レン君が受けた行為が「からかい」や「いじめ」であると学校側に認めさせること、これこそが後になって振り返ると、もっとも高いハードルだった。

「きっと公立でも簡単に、『はい、いじめです』と認めないでしょう。私立ならなおさらです」

 レン君ママによると、いじめに遭ったと聞いたその日、学校の担任教諭に電話した際、そのときの受け答えで、「これは簡単な話ではない」と悟ったという。

「いじめを受けたと息子が話した夕方、帰宅後の17時30分くらいのことでした。ここから詳細を聞き取り、学校の担任に電話を入れたのが19時くらいです。一度電話を切り、担任から再び電話をいただいたのが20時30分くらいのことだったと、当時のメモには記しています」

 担任からの電話では、「話は承った」としながらも、その話の要領はなかなか得られなかった。

「要は、うちの息子がハラたちクラスの子から受けた行為ははたして『いじめやからかい』なのか。またそうであるなら『どうしてそう言い切れるのか』、仮に言い切れるとしてこれを『誰がどうやって証言する、もしくはそれを証明する決定的な証拠があるのか』と、保護者である私にたたみかけるよう話してくるのです。多くの保護者はこの段階で嫌になるのではないでしょうか」