実際には、フジモリ大統領の来日時に日本政府が約束したペルーへの経済援助は、当時の南米の国の中では破格であり、1億ドル(130億円)の円借款や35億円の無償援助を柱とするものでした。「日系大統領の国だから特別に」という配慮があったことは事実でしょう。
ペルーにはその後も、日本からの経済援助が継続的に行われています。しかし、次に挙げる数字と比べると、あまりの規模の違いに驚くでしょう。日本がこの時期も含め、現在に至るまで何十年にもわたって約3兆6600億円ものODA(政府開発援助)をしていた国があります。その国の名は中国です。
フジモリ氏を「物乞い」扱いし
他国にすり寄った日本の誤算
この援助は、北京国際空港などのインフラ整備、貧困解消、環境対策など様々な用途に使われたとされています。しかし、中国はこの時期、本当にまだ日本の援助が必要だったのでしょうか。彼らは改革開放路線を唱え、工業国化を急ピッチで展開し、すでに世界の工場になろうとしていました。
軍事力も急拡大させ、1990年代後半から空母の導入計画を本格化、南シナ海における領土問題に対して、海軍が島嶼や岩礁の防衛・占拠を進めていました。ロシアから先端戦闘機を導入し、自国での組み立てや生産を進めました。核兵器の開発と配備も進められ、特に弾道ミサイルの技術が向上して、DF-21(東風21)やDF-31(東風31)などの新型弾道ミサイルを開発・配備し、潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)も開発していました。核抑止力が強化されたのです。
約3兆6600億円もの日本の経済援助により、浮いた国家予算でつくられた中国の武器が、今まさに日本を威圧しているのです。もしこの大金の一部でも、当時からフジモリ大統領のペルーや日系移民の多い南米諸国に援助されていたら、経済の安定に対して絶大な効果を発揮し、南米の発展に大きく寄与していたはずです。
南米からの移民問題が常にアメリカ合衆国を揺るがせ、今はとりわけ大問題になっています。その南米が日本の援助で安定していれば、米国の分断ももっと温和なものになったでしょう。
そして、グローバルサウスに南米の国々が大きな影響力を持つ時代が来ました。中国への付き合い方を慎重に考え、南米をもっと援助していれば、グローバルサウスに日本は大きな影響力を持てたはずです。
中国に感謝もされず、反日国家を育てたのも自民党政権でした。祖国を愛しながら、他国で日本人ならではの勤勉さを発揮していたフジモリ大統領のことを面前で「物乞い扱いした」自民党と日本政府こそ、税金泥棒だったのではないでしょうか。
(元週刊文春・月刊文藝春秋編集長 木俣正剛)