フジモリ一家は我々にとても親切でした。「事件にまだ進展はないよ」と、毎日首都を案内してくれます。ただし、観光気分になどまったくなれません。なにしろ、常に私たちの車の前後は機関銃を装備した車が警戒しているのだから。テロ組織は首都にもいて、武器も威力の高いものを所持しています。事前に見たペルーの資料や現在の資料にも「フジモリになって治安がよくなった」と書かれていますが、それでも当時はそんなレベルでした。

フジモリ大統領を軽んじた日本が手痛いブーメランを食らった、国際政策の“誤算”フジモリ大統領一家 写真:文藝春秋

 豪華な大統領官邸も訪れました。植民地時代、スペインの征服者ピサロが建てた宮殿ですから、日本の国会議事堂より贅沢な作りで、衛兵が常に警戒の巡回行進をしています。案内の男性が忠告してくれました。

「夜になると大統領府の周囲は、ヤバい街に変わります。道には1メートルおきに女性が立っています。すべて売春婦です。値段は1ドル。間違っても買ってはいけませんよ。誰もが性病を持っているから……」

なぜか郷愁を感じてしまう
恐ろしく貧しい国ペルー

 ペルー人の人柄には、何か日本人に郷愁を感じさせるものがありました。一つは、地元のインディオのスタイルでしょう。もともとモンゴリアンが何万年も前に陸続きだったベーリング海峡伝いに渡米して、辿り着いたのがペルーという国。日本の縄文人とルーツが同じなのです。南米は征服民族であるヒスパニックとその混血児が多いので、スタイルがよく美形の男女が多いのですが、インディオは背が低いから目立ちます。明治時代の日本人の写真を見ると、三頭身か四頭身でかなり頭が大きいですが、そんな感じの男女もかなり混じっています。

 そして私を最も驚かせたのが、当時「新リマ」と名付けられていた副都心を訪れたときのことでした。整備されたコンクリートの街角を予想していたのですが、イメージとは真逆のスラム街。鳥取砂丘を何倍にも大きくしたような巨大な砂山に、ビッシリと住宅が建てられています。住宅といっても、日本の海の家と似て葦簾(よしず)で囲っただけのような建物です。当然、電気も水道もガスもない。ひっきりなしに少年少女がバケツを持って山を上ったり下ったり。水はそこから運ぶしかないのです。

 インフラがない。資源がない。工業化されていない。この国を統治するのは大変な作業に違いありません。「フジモリ氏は日本食は好きだが、絶対に寿司と刺身は食べない」と家族も語っていました。お腹を壊すと、臥せっているだけで、敵対派のクーデターに襲われかねないというお国柄なのです。