ポイント経済圏20年戦争

2003年10月、ビデオレンタルチェーンを展開するカルチュア・コンビニエンス・クラブ(CCC)は、Tポイントをスタートさせる。だが、初日の利用者数はわずか300人超にとどまった。のちに巨大な経済圏を築き上げるTポイントの出だしは超スロースタートだったのだ。『ポイント経済圏20年戦争』から一部抜粋し、日本初の共通ポイントがどのようなスタートを切ったのか明かす。(ダイヤモンド編集部)

※この記事は『ポイント経済圏20年戦争』(名古屋和希・ダイヤモンド社)から一部を抜粋・再編集したものです。

2003年秋にTポイント誕生
初日の利用者はわずか300人

 2003年秋に産声を上げたTポイント。日本初のポイントビジネスのスタートを控え、カルチュア・コンビニエンス・クラブ(CCC)社内では高揚感が高まっていた。その一方で、うまくいくかどうかの緊張を人一倍感じていたのが、同社取締役で考案者である笠原和彦だった。

 笠原は前日の9月30日に仙台にあるTSUTAYAの加盟店を回っていた。そして、スタート初日の10月1日に帰京した。

 この日、CCC本社をローソン社長の新浪剛史が訪れた。Tポイントのスタートの状況を確認するためだ。「大きな問題はなくスタートしました」。笠原らCCC幹部と新浪らは現場からそんな報告を受けた。その場にいた全員が、トラブルが生じなかったことにホッと胸をなで下ろした。そして、議論はゲームや書籍の販売協力に移った。当時、CCCとローソンはポイントにとどまらず、幅広い提携を模索していた。

 夕方、笠原は新日本石油(現ENEOSホールディングス)のガソリンスタンドとローソンの店舗に足を運んだ。だが、店舗を視察すると不安がよぎった。どの店舗にも、Tポイントが利用できるとのステッカーは張ってあった。だが、「Tポイントカードをお持ちですか」といった店員の声掛けはなかったのだ。

 加えて、視察の間に、Tポイントカードをレジで提示した客も一切見当たらなかった。唯一の救いだったのが、ローソンの店舗で店員が胸に付けていた缶バッジである。それにはローソンとENEOSブランドのロゴと共に「Tポイント貯まります」と記されていた。

 翌日、笠原は別の仕事をこなすと、初日とは異なる店舗を回った。だが、そこで目にしたのは、昨日と同じ光景だった。この日も店頭での声掛けはなく、Tポイントカードを提示した客も確認できなかったのだ。

 そして、3日午前10時、初日のTポイントの利用者の数が判明する。「えっ……」。CCC本社で数字を見た笠原は、言葉にならない声を出してがくぜんとする。利用者数はローソンで300人ほど、新日石に至ってはわずか30人しかいなかったのだ。当時、中核加盟店だったローソンと新日本石油(現ENEOSホールディングス)はそれぞれ全国に8000店近い店舗網を持っていた。その店舗数からすれば、Tポイントの利用者は、ほぼいなかったといえる。

 そもそも、TポイントはTSUTAYAの会員1300万人をローソンなど加盟店に送客するための仕組みだ。TSUTAYAの会員にはTポイントの利用を呼び掛けていたものの、ローソンや新日石を利用する客層には届いていなかった。さらに、システム開発の遅れで「本丸」であるTSUTAYAでTポイントが使えるようになるのは、04年4月まで待たなければならなかった。

 加盟店がポイントサービスを運用する知見もなかった。今では当たり前となった店頭での声掛けだが、全店の従業員に指示を行き渡らせるのは容易ではなかった。要するに、消費者も加盟店も共通ポイントという概念への理解が追い付いていなかった。

 年が明けても利用者の数の伸びはまだまだスローで、1日に200~300人ほど。TSUTAYAの会員基盤からすれば、あまりにも物足りないペースだった。月間の利用者数が100万人を突破するのは、スタートから5カ月たった04年3月上旬のこと。日本初の共通ポイントは、当初は低空飛行が続いたのだ。(敬称略)