カリコーは、1985年に家族とともにアメリカへ移住する決断をした。当時、彼女は英語をほとんど話せず、また十分な資金も持っていなかった。

 アメリカに到着した後、1985年から1988年の間、フィラデルフィアのテンプル大学で博士研究員を務めた。その後、ペンシルベニア大学で職を得ることができた。彼女はここでmRNAを用いた治療法の開発に注力した。ただ、この研究は、当初は広く受け入れられるものではなかった。彼女のアイデアはしばしば却下され、資金調達にも苦労した。

ナチス・ドイツの非寛容主義は
みずからの首を絞める結果に

 2013年に、彼女はビオンテックに移籍、2016年にはシニアバイスプレジデントとなり、mRNAベースの治療法の開発をリードした。ビオンテックは後にファイザーと協力してコロナワクチンを開発したのだ。

 カリコーの場合に限らず、アメリカで進められた多くの科学的・技術的開発は、移民によって行なわれた。

 こうしたことは、日本では不可能だ。まず、就労ビザが得られないだろう。だから、日本国内で仕事ができない。仮に入国できたとしても、大学で専門的な研究の仕事を得られるとは考えられない。