とすると、使徒ヨハネとマグダラのマリアとは、人々の想像力のなかで、イエスによって引き裂かれたカップルでもあれば、イエスの愛をめぐるライヴァルでもあったことになるだろう。言ってみれば2人は似た者同士でもあったわけだ。
このこともまた、美術のなかにたしかに反映されている。ダ・ヴィンチの《最後の晩餐》をめぐるダン・ブラウンのあらぬ憶測は別にしても、イエスの2人の弟子は、しばしばどちらとも見紛うような姿で描かれてきたのである。
2人は、聖母マリアとともに十字架のイエスの最期を看取っているのだが、たとえばラファエッロの名高い《磔刑像》(1-16、1502-03年、ロンドン、ナショナル・ギャラリー)において、両者の姿は酷似している。
もちろん、ひざまずいて磔のイエスを見上げているのがマグダラのマリアで、その背後にいて両手を組んでいるのがヨハネであることはまちがいないのだが。これは、ヨハネが女性化して描かれることもあったという趨勢に準じるものでもある。