「8日周期」ではどうなるか?

 実験の第1段階では、魔法の道教の公式に従って、射精から次の射精までを8日間とした。もっとも、僕は僧侶になったわけではなく、活発なセックスライフを送っていた。ただ射精はしなかっただけだ。実験開始後の数日、欲求不満を覚えたが、そのエネルギーは当然どこかへ行くしかなく、たいした苦労もなく生活の他の部分に振り向けることができた。

 やがて、生活の満足度が日々上昇していることに気づいた。射精の頻度を減らしたのにセックスの頻度は高まった。射精の回数が減れば減るほど、もっとセックスしたくなった(そりゃそうか)。主観的なQOLも、セックスの回数が増えれば増えるほど上昇した。道士たちはさすがだった。

「30日周期」ではどうなるか?

 実験の次の段階では、不死への期待も込めて、射精周期を30日と定めた。これは難しくて、いくつかのアクシデントに見舞われ(人間なので)、何度か最初からやり直す必要があった。しかし結果はすごかった。生活の満足度は急上昇し、性衝動は天井知らずとなり(そりゃそうだ)、目を見張るほど生産的になり、エネルギーにあふれた。

 いちばん驚いたのは、妻やほかの女性陣からも、ふだんよりずっと注目されたことだ。もちろん僕が相手をしたのは、美しくて賢い(そして信じられないほど辛抱強い)わが妻、ラナ博士だけだが。意外にも、僕の人生の満足度はこの射精条件のもとで高まった。

「完全に断つ」とどうなるか?

 実験の最終段階は、射精だけでなく、まったくセックスなしで30日過ごすというものだ。僕はこれを「僧侶モード」と呼ぶことにした。30日周期の射精よりはるかに難しかった。強靱な意志力のテストをしたいというのでなければ、本気で勧めようとは思わない。

 何回か失敗してやり直したが、セックスなしの1ヵ月が進行するにつれ、幸福度と生産性が増していった。ただし、効果の程度は、30日周期射精ほどめざましくはなかった。しかも、30日後には、あそこが縮小する恐怖も味わった。20%ほどだ。使わなければ衰えるということだろうか。幸い、もとにもどすための道教エクササイズを数週間(および何度もセックスを)やったら正常に復帰した。やれやれ。