ここに、ショーペンハウアーの倫理学の特徴があります。彼は、道徳的な行為は本人が自由に選べるものではなく、その人の性格によって制約されている、と考えるのです。
ずいぶん悲観的だと思いましたか。その通り、彼はしばしば、西洋哲学史における悲観主義(ペシミズム)の親玉として紹介されます。どうやったって人間は変わらない――そういう、ちょっと悲しい考え方をした人なのです。
悪意は他者の苦痛を求めることである――それがショーペンハウアーの考えです。ただし彼は、そこにはさまざまな段階が、つまりグラディエーションがあると述べています。
まず、もっともレベルが低いのは、ただ頭の中で想像されるだけの悪意です。「あー、ぎゃふんと言わせてやりたいな」と思う気持ちです。その程度であれば、私もよく思ってしまいます。
たとえば学会で議論をしているとき、すごく意地悪な質問をされたときです。すると、ただ普通に答えるだけではなく、相手が意地悪な質問をしたことを後悔させるくらいに、意地悪な反論を返したくなるのです。
もちろん、そんなことをしてもトラブルになるだけですし、文字通り、自分には何の利益もありませんので、実行には移しません。