「ちょっとはその人気を私にも分けてくれよ」と思うわけです。そのように嫉妬に駆られた「私」は、相手の人気が失われるようなことを、わざとするかもしれません。たとえば、その人の嘘の噂を流したり、その人をあえてみんなの前で怒らそうとしたりする、ということです。

 こうした行為は、その人から人気を奪うことを目的にしているのであり、ショーペンハウアー風に言えば、他者の苦痛を求める悪意に駆られたものです。しかし、そんなことをしてもまったく意味がありません。

 もしも本当に「私」が自分の人気のなさを嘆いているのなら、もっと違った面で努力し、自己研鑽するべきなのです。結局、悪意に駆られる人は、それによって自分をもっと貶めることになります。

悪魔的な性格の悪さは直せる?→“ドイツの哲学者”の答えが辛辣すぎて身も蓋もない『悪いことはなぜ楽しいのか』(戸谷洋志、ちくまプリマ、筑摩書房)

 嫉妬が人間にとって有害なのは、自分にとって価値があるものを憎む、という矛盾に陥ってしまうからです。先ほどの例で言えば、「私」は、本来なら人から人気があることを良いことだと思っているのに、人気者を憎んでいるわけです。

 しかし、本当に人気があることに価値を認めているなら、人気者を称賛することができなければなりません。それが首尾一貫した態度です。それができずに嫉妬していると、いつしか自分が何に価値を感じているのか、何を望む人間なのかがわからなくなってしまうかもしれません。