しかし、私の選んだ相手は、両親の理想とする生き様とは対極の世界を生きていた。洗練された洒脱さを好む家に育った人で、プジョーやシトロエンなどのフランス車を乗り回し、毎年フジロックには関西から苗場まで車で往復していた。年に何度もふらっと海外に旅に出かけていった。型にとらわれない趣味の人だった。
趣味に没頭したら、とことんまで極めたい癖があるのは、実は私も同じだった。大学時代には我を忘れてクラシック音楽にのめり込み、日本国内のコンサートでは飽き足らず、本場ヨーロッパまで音楽を聴きに行っていた。ただ、幼い頃からの教育のせいで、お寺の跡取りらしさを忘れて趣味を追求しようとする自分に、どこか後ろめたさがつきまとった。自由に生きる彼女と接した時に初めて、知らず知らずのうちに心のなかに抱えていたリミッターが外れた。私も自由に生きたいと思うようになっていった。
変わり者同士であることはお互いに自覚していた。ともに音楽が好きでも聴くジャンルはまるで違ったし、私たちのあいだに共通の趣味などなかったが、一緒にいる時間は不思議なぐらい居心地がよかった。自分の知らない風景が目の前に広がって楽しかった。お寺文化は旧習に満ち満ちていたとしても、二人の趣味を生かして新しい風を吹き込んでいけると思っていた。