「お寺の奥さんには向かないぞ」両親の反対の末に“自由人な妻”を得た住職の波乱万丈生活写真はイメージです Photo:PIXTA

住職の妻には、住職と二人三脚でお寺の運営を支え、護り抜くという役目がある。だが、浄土宗・龍岸寺の住職である池口龍法さんが妻に選んだのは、自らの趣味を突き詰める自由な女性だった。両親の反対を押し切って結婚した2人の生活はどうなったのか。※本稿は、池口龍法『住職はシングルファザー』より一部抜粋・編集したものです。

お坊さんの結婚相手に
相応しい素質とは?

 お坊さんとしての理想の結婚とは何か。

 決して、好きな相手と結ばれることではない。もちろん、お互いの相性がよいに越したことはないが、それよりも重要視されるのは、結婚後、お寺がうまく運営されていくかどうかである。

 事実、父は母の助けを得ながら二人三脚でお寺を護り抜いてきた。そして間違いなく、私と結婚相手にもその姿を正しく受け継いでほしいと願っていたし、またそう指導していくべきだとも自負していた。だからこそ、師弟のはしごを外そうとした私に、両親は嫌悪感を露骨に示してきた。父というより師匠として、弟子である私の結婚相手の資質を見定めないかぎり、結婚を認めることはできなかったのだろう。

 とはいえ、私が結婚についてまったく相談をしなかったのは、両親のそのような思惑にうすうす気づいていたからであり、結婚相手が両親の好みそうなタイプではなかったからでもあった。

「吾唯知足(われただ足るを知る)」と彫刻された急須台がダイニングで愛用されていたのを今でも覚えているが、両親はこの言葉のようにつつましく生きることを是としていた。仏教では「私たちは生きている」のではなく「生かされている」と考えるのだとよく習った。