デマの否定には時間がかかる
「手遅れ」になる前に検証を

 選挙期間中に日本ファクトチェックセンターから記事が2本出たが、それまでに拡散された無数のデマを打ち消すほどの効果はなかったかもしれない。X上ではいったん拡散されたデマ投稿のインプレッションが、そのデマを指摘した投稿のインプレッションを下回ることは少ない。

 Xには、誤解を招く可能性がある投稿に対して背景情報を追記するコミュニティノートという機能がある。これは導入された当初、デマを防ぐ機能となることが期待された。しかしコミュニティノートは役に立ったかどうかをユーザーが評価するシステムとなっていて、否定的評価が多い場合は消される。

 つまり、フォロワーやファンの多いユーザーであれば、自分の気に入らないコミュニティノートは消すことができてしまう。党派性によって意見を主張する人が多いXでは、自分の気に入らない陣営の意見を集団で批判することが起こりがちであり、これがコミュニティノートや、その評価にも現れがちである。

 Xのコミュニティノートが危険なのは、もはや多数決によってアリかナシかが決まるようなシステムであるのに、一見ファクトチェックなのかと錯覚させるところである。ファクトチェックが何かを誤認させかねないシステムであり、情報の精度が玉石混交のカオス状態となった今の状況に拍車をかけているように見える。

 加えて、ここ1〜2年で検索結果にAIが紛れ込むようになり、最近では「文鳥」を検索するとトップに表示されるのがAIが生成した文鳥ではない鳥の画像であるという指摘を目にした。こういった状況はしばらく続くのだろう。

「ソースは?」というのも、一昔前のインターネットでは頻繁に聞かれた言葉だった。「その情報はどこから得たものなのか、出典を示せ」という意味だった。今や、出典や根拠、その情報が一次情報なのかどうかを気にするユーザーは少数派かもしれない。マスコミも反省は必要だが、根本からの情報リテラシー教育も当然必要だ。

 手遅れとなる前にまず、兵庫県知事選の検証が求められる。