そういった日本の現状に、彼らは仰天したの。

 で、そのあとは、こんどはあたしたちが仰天した。OSIの人がその事実に対して、こう言ったからなの。

「それは人権の侵害ではないか?なぜ誰も裁判所に訴えないのか?」

 え?なに?あたしたちが裁判所に訴える、って?訴えられるのは、あたしたちなんじゃないの?

 そのあと、胸の鼓動をおさえつつ、みんなでOSIのホームページをのぞいてみたら、こんなことも書いてあって、またまたびっくり。

「1番たいせつなのは、薬物依存症は病気であるということを、社会的に徹底的に教育すること。2番めに、女性たちが相談窓口に行ったときに、いやな思いをしないように、教育・福祉・医療・司法など関係者の教育を徹底すること」。
 
 うわーウソみたい!こんなふうにはっきり言ってる人たちがいるんだ……。

 OSIの人たちのことばのかずかずに励まされるようにして、そしてときどきそれを思い出しながら、〈人権(仮)〉についてのあたしたちの「研究」は、そろそろと2年ものあいだ、地道につづいてきたというわけ。

真正面から
「ください」と言う

 ところで、あたしがこころの中でずっと思ってきたことがある。

 自分の苦しさから逃げる。そのためにクスリを使う。「クスリを使って逃げました」「クスリを使って生きのびてきました」というのは、まちがいないことだと思う。じゃあ、あたしたちって、これからもクスリを使って生きのびていくしかないの?——仲間はみんな、ほかの方法をさがしたい、と思っている。

 それからあたしたちは、安心感や信頼感……多くの人たちがこどものころからふつうに持っているものを、ほとんどなんにも持っていなかった。それも事実だ。

 そしてそんな不公平感は、ほおっておくとはげしいうらみへと転じたり、すべてに対するあきらめになったりする。じゃあ、これからもうらみだらけ、あきらめだらけで生きていきたい?——そんなことない、と仲間たちはこころの底で、みんな思っている。

 それに、あたしがいちばんいやなのは、うらみの気持ちや、しかえししてやりたい!っていう気持ちから、「あたしたちはみんなが持っているものをなんにも持っていなかった。だから裏側から、べつのかたちでなにかをうばいとってやる!どうせ犯罪者なんだから、そのくらいしたって、いいじゃん!!」って思ってしまうこと。

 ね、それはやめようよ。いま本当に必要なら、必要なことを、ズバリ、真正面から「ください!」と言ってみない?ね、そう言わなくっちゃ……。

〈人権(仮)〉の研究は、そのための研究でもあったんだ。