自らも薬物依存の過去がある上岡陽江さんが創設した、薬物やアルコール等への依存に苦しむ人のための支援施設「ダルク女性ハウス(以下、ハウス)」。ここでは、「薬物依存者の人権」というテーマでの話し合いが行われていたという。彼女たちの人権はどう守られていくべきなのか——。『増補新版 生きのびるための犯罪(みち)』(上岡陽江、新曜社)より一部を抜粋・編集してお送りする。※内容は2012年時のもの。
「基本的人権」って
あたしたちにあるの?
ハウスの仲間たちはここ1、2年のあいだ、なんと、〈人権(仮)〉というものをテーマにしたミーティングを、ずっとつづけてきたの。
自分たちの思いや考えを、みんなであれこれ話しながら、まるで、自分たちのことを研究するみたいにね。
あとで話すけど、この「研究」をはじめるのには、直接的なきっかけがあったんだ。
ところで、〈人権〉なんて、手あかがついたことばだと思う?そう思うあなたは、もしかしてあたりまえのように、人権を持ってる人かもしれないね。それに、大きく出たわりには、なんでそのあとに小さく(仮)ってつくの?と思ったりするでしょう?なんというかね、こういうことばって、あたしたちにとってはあたりまえのように使えないもののような気がするからなの。
それはどうしてなんだろう。
まずひとつ。仲間たちの多くが、学校でも家でも、とてもつらい思いをしてきたんだ。学校でのはげしいいじめとか、家の中の暴力とか。小さいころから安全でこころ許せる場所、安心できる居場所がどこにもなかった。いつもいつも緊張していたり、どこかに逃げたかったり、こころがからだから抜けてしまったりしてた。
あたしたちがこの「研究」をはじめたころ、仲間のひとりがこう言ったの。
「社会の授業で「基本的人権」っていうことばを学んだけど、ぜんぜん実感がなかった。学校でも家でも、私にはそんなものはないんだ、としか思えなかったから」。
みんなが共感した。学校で習うことや、世の中で正しいと言われること、つまりみんながあたりまえだと思っていることと、あたしたちの現実とのあいだには、大きなへだたりや矛盾があった。それを仲間たちは小さいころから身にしみて感じてきたということ。
そしてもうひとつ。そんなあたしたちが生きのびるために必死にたどりついたのは、薬物をはじめ、アルコールや拒食や過食などの摂食障害、それから、ギャンブルや買い物などへの〈依存〉だった、ということ。
そんなあたしたちを、世の中はどんな目で見るか。ヤク中、アル中はとりわけ、人間あつかいされないよね。自分が弱かったからそんなことになったんだ、と自分自身を責めつつ、そのたびに、あたしたちはとてもみじめな気持ちになる。
必要なのは治療?
それとも自首?
日本の社会では、依存症は本人の意志ややる気ではどうにもできない病気なんだっていうことは、いまだ理解されていない。