〈人権〉ということばは、そんなあたしたちにとって、遠い遠いかなたにあるようなものに、どうしても感じてしまうというわけ。このことばのあとに、カッコ仮、とつけてしまうのは、こんな理由があるからなんだ。
不思議に思うかもしれないけれど、じつは多くの仲間たちの正直な気持ちのひとつには、「私たちも選挙なんてできるの? 私たちが人を選ぶ、なんてことができるの?」っていうのもあった。
薬物問題を「罰」で
コントロールする異常な日本
ちょっと遠回りしちゃったけれど、そもそも私たちが〈人権(仮)〉について話し合おうと思ったのには、いま話したようなつね日ごろのあたしたちの思い以外に、大きなきっかけがあったの。
数年前のあるとき、ヨーロッパの「OSI」(OPEN SOCIETY INSTITUTE)っていう人権団体が、日本の薬物問題対策を調査しに、私たちの関連の施設「アパリ」(アジア太平洋地域アディクション研究所)を訪ねてきたんだ。
かれらによると、いま、世界の薬物問題対策は、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、オランダなど、ヨーロッパのいくつかの国に見られるように、薬物依存を、まず個人の問題として考えるのではなく、コントロールがきかない病気の問題と考えるところから出発するんだ、と。だから相談を充実させて生活をサポートするなど、薬物を使わないですむ具体的な方法を考えていく、そういう方向に進んでいるんだ、って言う。
にもかかわらず、日本の場合はそれとは逆の方向に進んでいると彼らは言うの。日本は、国際会議などの場で、「わが国における薬物問題は「きびしい罰」を与えることによってうまくコントロールされている」って公言しているんだって。
で、ほんとうのところはどうなのか?ということで、その団体ははるばる調査にやってきたというわけなんだけれど、その「ほんとうのところ」を調査していた彼らは、びっくりおどろいたのよ。
日本では薬物依存症の
治療が不足している
つまり、日本では、まず薬物依存症の治療がきわめて不足しているという事実がある。そのいっぽうで、覚せい剤の単純使用の初犯者には、懲役1年6か月、執行猶予3年が言いわたされ、そのまま釈放されるけれど、執行猶予中の再犯の場合には、懲役1年6か月の実刑に加え、前回の1年6か月の執行猶予が取り消されるため、はじめて行く懲役の刑期は、3年にもなる。刑務所から出てきた人の再犯の場合は、さらに判決は重くなって、1回の覚せい剤使用で3年の判決を言いわたされる場合もある。そして、終始、もちろん、刑務所にいるあいだも、治療はなされない……。