ハッキングされた「ロシア元大統領のメール」が暴いた政治腐敗が“風変わり”だった

北極圏の刑務所で2024年2月16日に獄死した、ロシア反体制活動家アレクセイ・ナワリヌイ氏。彼が常に批判していたのが、プーチンを担ぐ与党「統一ロシア」とその党首メドベージェフだ。地道な調査でメドベージェフの汚職を暴いたことで、ロシア全土で抗議デモが広がり、多くの若者も政治に関心を持つようになった。※本稿は、アレクセイ・ナワリヌイ著、斎藤栄一郎訳、星薫子訳『PATRIOT プーチンを追い詰めた男 最後の手記』(講談社)の一部を抜粋・編集したものです。

汚職抗議デモに参加直後
5分で警察に拘束された

 2017年3月26日、モスクワの朝はロシア東部発のニュースで大騒ぎになった。何千もの人々が極東ウラジオストクの複数の通りで抗議デモを行い、その後デモはハバロフスクからノボシビルスク、エカテリンブルクへと飛び火し、最終的には100を超える都市に広がった。抗議デモの参加者はカラフルなスニーカーや黄色いラバー製のアヒルを手にしている。モスクワとサンクトペテルブルクの通りにも何万人が繰り出した。その中には私もいた。

 確かに私の抗議は長く続かなかった。せいぜい5分程度で、ひょっとしたらもっと短かったかもしれない。その日、私は誕生日を迎えた息子ザハールに祝いの言葉をかけて家を出ると、ようやくプーシキン広場に到着したところで即座に拘束され、警察のワゴン車に押し込まれた。しかし、警察車両がその場を抜け出すのは容易ではなかった。抗議する人たちの壁が車を取り囲み、道を塞いだからだ。

 これが、汚職調査に端を発した初めての大規模デモだった。私たちが2017年3月2日に公開した動画は、メドベージェフの違法行為を暴いたものだ。メドベージェフはプーチンの盟友で、サンクトペテルブルクの市長室では同僚として働き、動画公開時には首相を務めていた。

 2008年まで政府のトップの座にいたが、そのあと、プーチンと役職が入れ替わった。そうすることでプーチンは、大統領の3期連続の再任を禁じる憲法違反を回避したのだ。同時に権力の座を手放すこともあきらめなかった。実に稚拙なやり方だ。メドベージェフの4年間にわたる大統領の任期が終わると、チェスのキャスリング[訳注:チェスで、キングとルークを一手で動かして守りを固める特殊な指し手]のような奇策に打って出て、また役割を元に戻したのだ。

プーチンのダミー人形を
つとめた対価は?

 メドベージェフは大統領時代、皆から馬鹿にされていた。リベラルであるかのように振る舞い、TwitterやInstagramにアカウントを開いたが、これはロシア高官にしてみれば、ありえない行為だ(一方のプーチンはSNSを使わないし、PCの使い方も知らない。インターネットをCIAの陰謀だと吹聴している)。権力の座に就いて4年、業績らしきものがあるとすれば、「民警」という名称を「警察」に変更したことくらいだ。