「同行二人という言葉は知っていましたが、お遍路をひとりで歩いてはじめて、『ひとりではあるけれどひとりではない』と思えるようになりました。

 お遍路の旅の時間、地元の方のお接待にふれながら、弘法大師がそばにいてくれたように、残りの私の人生も姿の見えない夫が一緒に歩いてくれると信じています」

 こうした信仰の場には、癒しや救いを感じられると話す人も少なくないように思います。

 いつもとは違う非日常的な空間や時間は、新たな気づきを生むこともあるでしょう。張りつめた心にしばしの休息を与えてくれることもあるでしょう。

夫の遺したCDを聴いたら
私の知らない夫がここにいた

 わざわざ遠方まで出かけなくても、身近なところで、いつもと違うことに目を向けることもできたりします。

 ふだん歩く道から少し寄り道してみるのもいいと思います。近所を散歩したり、ガーデニングを楽しんだりすることでも、自然を感じられるでしょう。

 これらは、自分のペースで、ひとりでもできるところが利点で、人づきあいのわずらわしさもありません。

 体調がよく、天気もよい日に、とくにあてもなく出かけて、ぼんやりと時を過ごすのもいいでしょう。

 自分が「ふと思った」「心が動いた」、そんな場所に出かけることをくり返していくうちに、少しずつ何かが変わってくることがあります。

 行き先はどこでもかまいませんが、なんとなく気になった場所を訪れてみてはいかがでしょうか。

 懐かしい音楽を聞いたり、いつか見たいと思っていた映画を鑑賞したりするなど、ふと思ったことを試してみるのもいいと思います。

 夫を亡くした50代女性のお話です。

 このように今の生活について教えてくださいました。

「夫の部屋にこもって、夫の遺したCDを1枚ずつ聞いていくことが毎日の日課です。生きているときに一緒に聞いたことはなかったんだけどね。まだまだ知らない夫がいたんだなあと思いながら、感慨深く聞いています」

 いつもと違うことに目を向けてみることで、亡き人があなたに伝えたいことに気づくことができるかもしれません。

 あの日から止まった時間の中にいるあなたが、「ふと思い立ったこと」に導かれて、季節のうつろいや自然の美しさ、心地よい音楽にふれる時間をもつことで、変化が訪れるやもしれません。

 すぐには難しいとしても、いつかは気持ちに変化が生じるように思います。

 身動きできずにいた時間から、自分の力で動き出すことができるのではないでしょうか。

POINT 「ふと思い立ったこと」をやってみる