亡き人は苦しみのない世界で
おだやかに過ごしている
Hint 神も仏もあなたの味方
祈りの場所や信仰の地を訪ねてみる
「苦しいときの神頼み」ということわざがあります。このことわざのとおり、ふだんは特定の宗教信仰をもたない人でも、自分の力ではどうしようもない苦境に立たされたときには、神仏に救いを求めようとすることがあります。
宗教離れが進む今の日本においても、このような心理は失われていないのではないでしょうか。
40代の息子さんを事故で亡くした70代の女性のお話です。
「私は信仰心が強いほうで、朝晩のお参りも欠かさないし、ご先祖様の供養もきっちりとしてきました。にもかかわらず、息子が事故にあってしまうなんて……。神も仏もあったもんじゃないわね」
早くにご主人を亡くして、唯一の家族であった息子さんを大切にひとりで育ててこられたそうです。警察から連絡をもらって病院にかけつけましたが、息子さんが「お母さん」と呼んでくれることはもうなかったようです。
この女性はひとり息子の理不尽な死に直面し、神も仏もいないと言いつつも、よりいっそう朝晩のお参りに励んでいました。
神仏に救いを求めたり、亡き人の平安を祈り、いつかまた再会できると信じたりすることは、悲しみに向き合うための自然な営みといえます。
遺された者にとって、亡き人は苦しみのない世界でおだやかに過ごしていると思うことや、亡き人といつかまた再会できると信じることが、今のつらさを生きぬく糧になるかもしれません。
母と一緒にいるようで
心が少しおだやかになれるんです
特定の宗教の神仏にかぎらず、人間の力を超えた大いなる存在の力を意識し、その力に身をゆだねたいと思う人もいるでしょう。
少しでも関心があるのであれば、教会での礼拝や寺院での法話会などに参加してみるのもいいかもしれません。
夫を亡くした80代の女性は、毎日の散歩の通り道にある小さな教会の掲示板に、「日曜礼拝――どなたさまでもお気軽にご参加ください」と書かれているのを見て、一度行ってみたいとずっと思っていたそうです。
クリスチャンでなかったためにためらっていたのですが、ある日、意を決して教会の扉を開けてみました。
「場違いだったらどうしよう……と悩んでいたのですが、皆さんがとてもあたたかく迎えてくれました」
この女性のように、思いきって訪ねてみたら心地よかったということも十分ありえるでしょう。