唐来三和初めての洒落本は
孔子・釈迦・天照大神の吉原遊び
三和の戯作も大いに注目に値する。初作の洒落本は、孔子と釈迦と天照大神の吉原遊びを描く天明3年刊『三教色』であった。この天明5年は、長崎丸山遊廓を舞台にして唐人を登場させた奇想の洒落本『和唐珍解(わとうちんかい)』を蔦重は出版する。教養に裏打ちされた彼の戯作における機知的な滑稽はこの天明期を代表するものと言ってよい。
この年の黄表紙でも1冊ものの『頼光邪魔入(らこうじゃまいり)』、また3冊ものの『莫切自根金生木(きるなのねからかねのなるき)』は上々の作であった。また2冊ものの『書集芥の川々(かきあつめあくたのかわかわ)』は、お初徳兵衛はじめ有名な心中もののカップル11組が一堂に登場する趣向である。全員揃っての道行きの場面のばかばかしさは、京伝の『江戸生艶気樺焼』の道行きの場面と対になる。作者同士、次作の趣向を話題にし、同趣向で馴れ合うような、また戯作者同士の交歓の中から作品が生まれるこの当時ならではの戯作制作の現場を感じさせる。
さて、天明5年正月、菅江撰『故混馬鹿集(ここんばかしゅう)』を蔦重は出版する。本格的な狂歌撰集として、南畝には『狂歌才蔵集』、菅江にはこれを依頼していたのであろう。ここに「よみひとしらず」とあるが、撰者菅江のものと思われる狂歌が載る。最近狂歌が世間に流行し、戯けた狂名で狂歌を詠みちらすが、狂歌の手並みはさっぱりであるという意の詞書を置いて「糞船のはなもちならぬ狂歌師も葛西みやげの名ばかりぞよき」。
「糞船」は葛西舟のこと。江戸湾沿岸付近の総州(千葉県)の農家は江戸市中の屋敷や長屋の家主と契約を結んでいて、舟を使って便所の屎尿を汲み取りに来る。葛西からばかり来ているわけではないが、江戸人は屎尿を運ぶ舟をすべて「葛西」とか「葛西舟」と呼ぶ。もちろん肥料用で、野菜と交換という契約である。「名」には「菜」を掛ける。寄せられた歌稿の水準にうんざりしたのであろう。