「他者への責任」から
「自己責任」への変化

 教育を受ける機会も、職業を選択する機会も、スキルをアップグレードする機会だってあったはずなのに、怠けていたからこそスキルが破壊され、賃金が下がったり、失業したりするのであれば自己責任だ、という考え方は今では一般的なものになっています。このような考えの広まりは、責任の概念の矮小化だとジョンズ・ホプキンズ大学のヤシャ・モンクは指摘しています。重要な点ですので、少し見てみましょう。

 1980年代に入るまでは、責任は他者を助ける個人の義務のことを意味していたとモンクは指摘しています。それが今日では、責任とは、自分で自律し、それを怠った時にはその結果を引き受けるという意味に変わってきているというのです。彼はこれを、「義務としての責任(他者への責任)」から、「結果責任としての責任(自己責任)」への変化と名づけています。

 実際に1980年代に入るまでは、政治家が国民に対して責任ある行動を、と説く場合には、基本的にはその責任は、理由を問わず他者を援助し、社会に貢献する義務のことを意味していました。例えば、1961年のジョン・F・ケネディは大統領就任演説で「国があなたのために何ができるかを問うのではなく、あなたが国のために何ができるかを問え」と、アメリカ人に公共の利益、つまりみんなのために何ができるのかを考えることの大切さを説くスピーチをしています。

消えてしまった
「義務としての責任」

 それが、1980年代以降は、責任と言った場合には、自律して生きる個人の義務(結果責任としての責任)が強調されるようになったのです。経済的な自由や個人の選択の自由の重要性を指摘したミルトン・フリードマンやフリードリヒ・ハイエクといった経済学者の著作(『選択の自由』や『隷属への道』など)は結果責任としての責任を説く政治家に大きな影響を与えました。ロナルド・レーガンは、1981年の就任演説で誰もが自律して生きる重要性を説くスピーチを行っています。

 これに対してモンクは、「義務としての責任」が消えてしまい、責任というと過去の成功や失敗の原因がどこにあるのかの話に矮小化されてしまった、と指摘しています。