しかも、今回の問題ではもう一点、勘案しなければならないことがある。
今回は自社社員の人権を蔑ろにした可能性について問題視されたが、むしろテレビ局にとっては「テレビ関係、芸能関係とのコネクションをつくりたい人たちに対する人権を蔑ろにする行為がある(あった)可能性」、つまりは、Me Too運動により露見するかもしれない新たな問題が組織にとっては重要リスクと考えられてきたし、そちらが本筋とも言えるだろう。
そのことまで視野に入れるなら、問題はさらに深刻だ(おそらく週刊誌には、とんでもない量の真偽不明の情報があるだろう。これらがいつ公になり、爆発するかわからない。いつでも新たな問題が発生し得る状態にある)。
個人・部門レベルの問題だったとしても
最大限の対応が求められるワケ
いずれにせよCMの停止を決定した企業は、3月に発表される予定の第三者委員会の報告書を先述の観点から判断することになるだろう。調査を担当する弁護士たちの責務は大きい。
期間がたいへん短く、強制捜査権もない中で、大量に寄せられるであろう真偽不明の疑惑の情報を一気に調べ上げ、会社や経営者の責任を明らかにしていく作業は困難を極めることが予想される。
世間の空気に流されず、エビデンスをもとに責任ある報告書を書こうとすればするほど、社会一般からは評価されにくい煮え切らない報告書になる可能性が高いだろう(人の感情が関係するこの種の問題は、人によって見え方や感じ方が異なり、物証も乏しく、一つのケースを判断できるレベルになるのに数カ月かかることもごく普通にある)。
本来は、実際に問題が起こったことが証明できない限り、“推定無罪”の方針がとられるべきだが、世論を気にせざるを得ないCM出稿企業はそのスタンスを取ることは難しい。
一方で、何もなかったことを証明するのは、何かあったことを証明するよりも格段に難しい悪魔の証明である。取引開始にあたって世論の動向をもとに判断すれば、フジテレビに対していきおい厳しい方針を取らざるを得ない可能性が高くなる。
その結果、本当は個人レベルや部門レベルの問題であったとしても、フジテレビおよびグループ全体の問題として最大級の対応をしない限り、取引の再開はしづらくなる。
組織ぐるみの問題が実際には存在しなかったのであればお気の毒ということになるが、幸か不幸か、これが現在の残酷ともいえる社会の状況なのである。
(プリンシプル・コンサルティング・グループ株式会社 代表取締役 秋山 進、構成/ライター 奥田由意)