子どもの将来に不利益を与える名前は
世代を超えて警戒されるべき
今回の法務省の読み方認容指針の具体例に対して、うっすらとした反響はあって、それらはポジティブであり、あまり批判の声はなかった。代わりにキラキラネームに関する議論が再燃して、「やっぱりキラキラはよくないよ」とか「私、採用担当ですけどキラキラネームは超不利です」といった話がよく聞かれるようになった(真偽は別にして、そういう話が各所で持ち上がっている現状があって、その状況がキラキラネームの人にとって不利益ではある)。
そして「親の愛は否定されるべきではないが、自己本位に発揮して押し付ける愛はエゴですよ――」というのが良識ある人らが唱えている意見で、「子どもの将来のことも考えてやりましょう」ということなのだが、言う方も言われる方もそれぞれ違った「キラキラ」の物差しを持っているので、話がなかなかまとまりにくい。
名前に使う漢字は戸籍法の第50、60、68条あたりに規定されていて「常用平易な文字を用いなければならない」とある。それを満たしているかは出生届を受け取る行政の窓口が判断するわけだが、「悪魔ちゃん」の時がそうであったように、窓口は「なるべく許容してあげよう」というスタンスで検討するので、法務省が挙げたOKなキラキラ系ネームとそれに類似するものは、法務省の掲げたガイドラインによって、時にはその解釈を広げて運用され、今後はおおやけに市民権を得ていくことが予想される。
筆者個人は、純文学にかぶれるなどしながら日本語を愛してきた身として、昨今の流行りの命名には強い違和感を覚えるのだが、言葉や名前は永劫不変のものではなく、時とともに移ろいゆくものでもあると聞く。
筆者の名の「弘樹」は同世代と前後の世代では違和感ないはずだが、もっと若い世代からは「ちょっと中年っぽい名前」と思われるだろうし、近所のツネおばあさんからは「小洒落ようとしているどこかいけすかない名前」と思われているかもしれない。
筆者が「弘樹」を授かって生まれた時と同じことが、今この時代でも起きている。陽翔くんや陽葵ちゃんは、筆者世代から見るとちょっとキラッとした名前の子がたくさんいる中で育っていくのでそれが自分たちの、ひいてはその時代の社会の常識となっていくであろう。
そして、彼らが30、40、50代になった時、今度はその時代における「ネオ・キラキラネーム」が登場して、陽翔くんや陽葵ちゃんが「ネオ・キラキラネームの違和感を安易に受け入れず、日本語の美しさを大切にしていきたい」とやるのである。おそらく言葉と名前というのはそういうものである。
ただし、子どもに不利益を与える命名は時代が変わっていこうと常に警戒されるべきである。法務省の認容指針はそこにケアしようとしているし、現代を生きる人がキラキラネームへの違和感を表明することは注意喚起の意味を持つので無駄ではない。
親と子、そして周囲の人たち、みんなにとってよりハッピーな名付けが実現されるべく、ぜひ社会全体で頭を悩ませていきたいところである。