![子連れの公園遊びで「よその親のストレス」から解放される「フランス流」の方法とは?](https://dol.ismcdn.jp/mwimgs/7/4/650/img_74de6d382bf1fbe527ec7266aed4f9e51655003.jpg)
楽しそうで、そう簡単ではないのが子連れでの公園遊びである。環境によるストレスもあるし、もっとも厄介なのが周囲の親との関係だ。親としての責任や、他の親との微妙な関係に悩むストレスと、どう向き合うかを考察する。(フリーライター 武藤弘樹)
子連れで行く公園に待ち受ける様々な苦難
保護者にとって子連れで行く公園には実に様々な試練が待っていて、修羅の道と称して概ね差し支えない。夏は暑く冬は寒く、知っての通り気持ちの良い陽気の春秋は異様に短いので、一年を通してまず環境的につらい。
そんな中で無限に遊びたがる子どもを見守る時間は1分が10分に感じられるほど長い。子どもと一緒に遊べば少しは気がまぎれるが、子どもの繰り返しへの欲求(幼年ほど強い)と体力は無尽蔵で、その全てに付き合うことには相当な精神力を要する。
また、自分の子どもが危険な行為や禁止行為をやっていないか、よそに迷惑をかけていないかを監督する保護者としての責任も付きまとう。公共の場に子連れで行く際には常に監督責任が生じるが、公園は特に子どもが自由に動ける場である上、よその子どもも自由にやっているので常に火薬庫のような状態であり、監督する目も忙しくなるのである。
公園を難しい場所にしている大きな要素にはもうひとつ、「よその保護者とのせめぎ合い」がある。人によってはこれがもっともストレスらしい。最初に話を聞いた際には「それはよそ様を気にしすぎではないか」と思えたが、胸に手を当てて考えてみると、私自身が公園を回避したく思う理由は8割くらいがこれであった。
クララ・ジョルジュというコラムニストがフランスのル・モンド紙に寄稿した公園に関する考察的な手記が面白かった。また、親・保護者(以下便宜的に「親」で統一)の公園にまつわる数々の思いは日本国内に留まらず、全世界共通であることもその記事を通して確認できたのであった。