東海道新幹線より一歩進んだ
自動化と効率化を実現
前掲記事は「山陽新幹線の国鉄に占める役割」の第一に「国鉄財政再建の1つの柱となる」ことを挙げる。そして、新幹線の生産性は在来線と比較して非常に高く、1人あたりの収入は在来線の約7.7倍となっているとして、新幹線開業を契機に在来線の合理化が一層進展することへの期待を述べている。
第二は「鉄道が装置産業に更に近づくこととなる」とある。鉄道は、大規模な施設やシステムでサービスを提供する装置産業であり、人間の労働力による業務の割合が大きい労働集約型産業でもある。今では鉄道が装置産業であることは衆目一致するところだが、当時は後者の割合が大きく、機械化・合理化が遅れていた。
その中で東海道新幹線は、運転方式、営業体制、保守体制に安全かつ効率的なシステムを導入した点が革新的だった。特に運転方式については在来線と異なりATC(自動列車制御装置)・CTC(列車集中制御装置)を採用し、可能な限り自動化、遠隔化を図った。
また、地震時に自動的に列車を停止させる「対震列車防護装置」の導入、風速・雨量監視装置、線路や架線の状態を監視する高速軌道・電気試験車(後のドクター・イエロー)の開発など、今では当たり前となった技術が新幹線とともに開発されている。
山陽新幹線ではさらにこれを推進し、輸送形態の複雑化に対応して、CTCとコンピュータを接続し、進路設定、列車運行監視、運転整理、車両・乗務員の運用を処理する「コムトラック」の開発や、線路や架線のメンテナンスフリー化など、一歩進んだ自動化、効率化を実現した。
記事は触れていないが、もう一つ大きなチャレンジが高速化だ。東海道新幹線は東京~新大阪間を3時間で結ぶ目的から逆算して最高速度を時速200キロと定めた(ATCが作動する余裕を含めて時速210キロ)。だが、航空機の技術発展は著しく、富裕層向けの交通機関から徐々に大衆化し始めていた。
技術発展が無ければいずれ航空機に負け、再び鉄道は斜陽化する、そんな危機感を抱いていた国鉄技術陣は、1966年の山陽新幹線技術基準委員会で時速250キロに対応した線路、電気設備の規格を決定し、設計最高速度は同様にATCの余裕分を乗せた時速260キロとなった。以降の路線も同様の規格を採用しており、整備新幹線の最高速度が時速260キロなのもこれに由来する。