もし夜行新幹線が実現していたら
どのような座席配置になったのか

 代わりに登場したのが「新幹線ビジネスエック」だ。『日本交通公社七十年史』は「夜行新幹線構想については、騒音問題等があり、その代案として、主要新幹線駅所在都市にあるビジネスホテルの客室を、国鉄のマルス・システムに収容し、新幹線指定席とセットで発売することとなった」と記している。

 ビジネスホテルの普及は長距離夜行列車の衰退原因のひとつであるが、国鉄は博多開業時点で既に、時代の変化を理解し、後押ししていたのである。

 ただ、夜行新幹線の可能性はその後も模索されていたようだ。1982年に開業した東北新幹線も、北海道延伸が実現すれば約1000キロの長距離運転を行うことから、駅構造、ポイント、電気設備、信号設備など、将来の夜行運転を想定して手戻りのない設計で建設された。

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 東北新幹線は1971年に建設指示が下され、同年に着工しているため、山陽新幹線の計画を踏襲したのだろう。夜行運転が保留された後も、今さら設計変更しては工事が遅れると考えたのか、危機感に欠けた国鉄の惰性なのか分からないが、形だけであっても、夜行新幹線構想は1980年代まで生き延びていたのである。

 ところで、夜行新幹線が実現していたら、どのような座席配置になったのだろうか。当時の業界誌に掲載された「新幹線電車寝台配置構想図」を見ると、座席は1+2列の向かい合わせボックス席で、夜間は天井から寝台が下りてきて計6人分の2段ベッドになるとある。配置は異なるが、昼夜兼用の在来線特急車両「583系」などでも用いられていた方式だ。

 だが、構造上、座席は向かい合わせで固定され、リクライニングもできない。もっとも初期の「0系」車両もリクライニングしない転換クロスシート(背もたれを前後に倒して向きを変えられるシート)であり、当時のサービスレベルではそれほど違和感はなかったかもしれないが、座席の改良が進んだ1980年代には格差が問題になったはずだ。

 夜行新幹線とは結局、高度成長を終えて急速に転換する日本社会に咲いた「あだ花」だったのである。