そんな中、信隆氏の「退職金キャンペーン」は始まりました。リストには従業員80人の企業から3億円の退職金が出ているケースもありました。しかも、この退職金は信隆氏が亡くなっている以上、宏明氏の懐にも入ります。さらに、金額は役員会で宏明氏に一任とするという“お手盛り”でした。
わかりやすいスキャンダルだけに、社員全員が会社の私物化に怒りを感じ、幹部たちが宏明氏の経営にはついていけないと確信したときに、クーデターは決行されました。
クーデターは用意周到でした。普段グループの役員会は、中核のフジテレビ、産経新聞、ニッポン放送というように月に1回、隔週で開かれるのに、クーデターが行われた産経新聞の役員会は7月21日、フジテレビは7月23日 ニッポン放送は7月24日と近い時期にセットされていました。産経などは、羽佐間氏が「初めての職場なので早くやりたい」と、急遽セットした日取りでした。
その産経新聞の役員会で、宏明氏の解任動議が発議され、賛成17名、反対3名で宏明氏は解任されました。実は、宏明氏は産経新聞の株を100株しか持っておらず、反対派も大勢いたので、産経では一番クーデターが成立しやすかったのです。
それでも失敗したときに備え、日枝氏が率いるフジテレビの株主総会が直後にセットされていました。翌日記者会見で宏明氏は辞任を発表しますが、ギリギリまで巻き返しを図って、財界の重鎮・中山素平氏(興銀特別顧問)、瀬島龍三氏(伊藤忠商事特別顧問)などに相談したところ、逆に中山氏から「辞任を受け入れろ」と説得されます。
実は、財界工作に一番関わっていたのが日枝氏でした。フジサンケイグループは左翼全盛の戦後期に財界がカネを出して作った、いわば国策会社でした。ですから財界の発言力も強く、核となるニッポン放送の株のほとんどは財界が持っていました。
そして、財界の代表とも言える中山氏は、決起に悩む日枝氏の背中を押す役割も果たしていました。つまり財界工作こそ、日枝氏の得意技。その人脈は今に至るまで続いており、足もとのフジテレビ騒動では、日枝氏が直接動かなかったとしても、彼の責任を問わない弁護士を探し出すくらいの影響力があります。
日枝氏にとって
最も理想的な「引き際」とは
以上が、私の日枝氏残留の可能性についての見立てですが、一つだけ不明なことは、日枝氏が骨折して2月末に開催されたフジ・メディアHDの役員会に出席しなかったというニュースです。高齢者が圧迫骨折すると、吐き気や気分の落ち込みが起こります。日枝氏は87歳。ただの骨折でなければ、気力を喪失してしまう可能性はあります。
第三者委員会の決着が出る前に病気で引退することが、本人にとって一番傷が浅いと思えるのですが……。
(元週刊文春・月刊文藝春秋編集写真長 木俣正剛)