とはいえ、SNS、動画投稿サイト、3Dアバターなどが登場する前に、類似のエンターテイメントがなかったかと言えば、そんなことはない。人間が演技者として存在し、その姿を鑑賞する観客がいるという欲望の交差の場は、ネット以前のポピュラーカルチャーやエンターテイメント全般、時代を遡って古代ギリシアの演劇に至るまで、同様の形式を備えて多数存在してきた。観客という立ち位置を示す言葉も様々あり、観衆、聴衆、オーディエンス、ギャラリー、ファン、リスナーなど枚挙にいとまがない。

初見の人に「アニメキャラ」と
誤認されがちなVTuber

 演技者や行為者がルールや方向性に沿った上で様々なアクション(行動)を起こして見せるエンターテイメント、それらの鑑賞者や観測者である観客は自身の心を動かされる。この構造は、エンターテイメントの本質のひとつであるように思える。

 このことに気づけば、YouTuberが投稿する様々な動画やストリーマーが配信するライブ配信は、活動者(演技者)の活動を楽しむリスナー(観客)という図式となり、こうしたエンターテイメントの系譜に位置づけられることになる。

 そういったなかで、「創作的ルックス(アニメキャラクター的なビジュアル)」を見たときに我々はまず、違う世界にいる住人……マンガやアニメなどのフィクショナルな物語に登場する人物を想像してしまいがちだ。「創作的ルックス」を使って様々な指針で活動しているVTuberがいるが、初めて見た人はアニメ作品などの「キャラクター(フィクショナルな物語の住人)」だと誤認する。

 当然だが、彼らはアニメ作品などの「キャラクター(フィクショナルな物語の住人)」ではない。いま現在、多くのVTuberは配信サイトでの生配信や動画を投稿することによって、自身の存在をアピールしていくことが主な活動となっている。

 仮に彼/彼女が非現実的で創作的な設定を持ち寄ったとしても、多くの場合、それらがうまく拡張されるタイミングやパターンは少ない。様々な要因が絡み合い、スケール感の大きなエンターテイメントをつねに提供することが難しいVTuberの形式では、神秘性を高めるのではなく、時を経るごとに本人のパーソナリティが滲み出ることになる。