「創作的ルックス」から
「滲み出る本人性」が魅力
つまりVTuberという存在・エンターテイメントとは、「創作的ルックス(アニメキャラクター的なビジュアル)」と「滲み出る本人性(本人のパーソナリティ)」が織りなすハーモニーが大きな割合を占めているのだ。
本人のパーソナリティや雰囲気という観点で言えば、「創作的ルックス」に頼ることなく、本人がそのまま出ればよいのではないかという疑問がわくかもしれない。むしろ、ストリーマーや配信者らがアバターを通さずに自分自身の顔と体を使ってリアクションする方が、感情がよりダイレクトに伝わり、そちらの方が面白いのではないかと。
それはその通りだろう。だが、ストリーマーは自身の神秘性を犠牲にし、本人性を曝け出すことでエンタメを提供している。その生々しい本人性を楽しむ人がいるのと同じように、「創作的ルックス(アバター)」が生み出す神秘性が生々しさを和らげ、そのうえで楽しむ人もいるのだ。
また、「アニメーション的な感情表現のあり方・豊かさ」の方が好ましいと感じる人がいることを指摘しておきたい。たとえば、アニメやマンガが実写ドラマ(映画)化すると発表された際、ネット上で原作ファンから拒否感が示されることがある。それがSNS上で炎上状態になることも珍しくなく、興行的にふるわない場合もある。
そう考えると、エンターテイメントはすべて生身の人間でなければいけない・最適解であるとは限らないこともわかるだろう。
アニメキャラクター的なルックスでありながら、我々リスナー(観客)と同じ時空間を共有し、生活感のある話題を提供し、様々な感情を読み取ることのできる会話の数々からはVTuber本人(活動者)の人間味が滲み出る。
その「創作的ルックス」と「滲み出る本人性」とのギャップ、コントラスト、バランスがVTuberの本質かつ魅力と言えるだろう。
