2017年の発売以降、今でも多くの人に読まれ続けている『ありがとうの魔法』。本書は、小林正観さんの40年間に及ぶ研究のなかで、いちばん伝えたかったことをまとめた「ベスト・メッセージ集」だ。あらゆる悩みを解決する「ありがとう」の秘訣が1冊にまとめられていて、読者からの大きな反響を呼んでいる。この連載では、本書のエッセンスの一部をお伝えしていく。

ありがとうの魔法Photo: Adobe Stock

人の意見に「依存」しないで、最終的には「自分で判断」する

 向上心を持ってセミナーや講演会に参加したり、人の話を聞いたり、本を読んで勉強している人は、少なくないと思います。

 そして、「この人の考え方は自分に合う」「この人に共鳴できる」と思える人に出会えることがあります。

 その人の価値観や考え方を自分の中に取り入れることは、とてもよいことかもしれません。

 しかし、一歩間違うと、その人に過度な「依存」をしてしまうことがあります。

 中村天風という思想家がいました。天風先生の教えを受けた人は、政財界など、日本の指導者層の多くに及んだと言われています。

 何かの記事で読んだのですが、あるとき、天風先生が、ひとりの女性からこう言われたそうです。

「先生にお会いしてから、私は運が開けました。ありがとうございます」

 このとき天風先生は、「自分に出会ったことで、運がよくなったと言われて悪い気はしない」と思いながらも、「けれど、そういう考えなら、『自分に会ったために運が悪くなった』と思う人もいるかもしれない。私は、『天風先生に会ったおかげで、自分でものを考え、判断できるようになりました』と言われるほうが嬉しい」と考えたそうです。

 私もまったくその通りだと思います。

 ある人の話を聞いて、「自分の感性にピッタリくる。だから、この人にいろいろなことを相談しよう」と思ってもいいと思います。

 ですが、何から何まで、すべて相談して決めようというのは、少し違う気がします。

 本来は、その相手(自分の感性に合う人)の考え方や哲学、主義、信条、思想の中から「自分が共鳴できるところ」を学び、自分の考え方をつくり上げ、自分ですべてのことを理解し、判断し、処理できるようになることが大切だと思います。

 お釈迦様が「死の床」にあるとき、「十大弟子」のひとり、アーナンダは、涙をはらはらと流していました。お釈迦様は、涙を流すアーナンダに、こう言ったそうです。

「アーナンダよ、そなたは今まで私の下で、何年修行をしてきたのだ。私の肉体が存在するということに、依存してはならない。私が生きているということに、依存してはならない。私が今まであなた方に説いた法(教え)を、闇の中の光として、生きていきなさい。私の肉体に依存するのではなく、私が教え説いた理法を、糧として生きていきなさい」

 アーナンダはその言葉を聞き、「お師匠様、私が未熟でございました」と言い、お釈迦様は「それで安心した」と、にっこり笑って亡くなっていったそうです。

 いろいろな人の話を聞いたり、教えを受けたりするのはよいことだと思います。それによって自分が触発され、新しい気づきを得ることもあります。

 しかし、本来自分が判断しなければならないことまでも、その人に依存し、結論を出してもらうというのは、アドバイスしている側の人間からしても、決して望ましいことではありません。

 たくさんの人の意見を謙虚に聞くと同時に、最終的には、「自分で判断する」ことが必要だと思います。