そもそも「国主導」か「地方主導」か、といった対立構造で考える必要は無いように思います。

 お互いができることを目いっぱいやればいい。それだけのことです。二択である必要は無いのではないでしょうか。

 メディアも、また一部の政治家も、一種の対立構造を作ることが好きです。しかし、そういうものから良い結果が生まれるとは思えません。結局、対立構造を作ると、その解消のために人的、時間的なものも含めて多大なコストがかかるからです。その分のロスが大きくなれば、前向きな方向に使える労力が減ってしまう。

 これまでは、そういうロスを吸収できるような環境が日本にあったから、良かったのです。人口増、経済成長のおかげで、少々のロスは問題にならなかった。しかし、これからはそうはいきません。

 私たちがやろうとしているのは、「地方のことは地方に任せたほうが上手くいく」という例をできるだけ増やして、それを常識としていくということです。

 その意味では、政府の「地方創生担当大臣」などというものは、いささか矛盾した存在なのでしょう。理想はそんな大臣がいなくても、それぞれの地方がやる気を出して、自分たちで知恵を出して、常に盛り上げていくという状態だからです。

「あれこれ口を出さなくても、我々は我々で地元を活性化しているから心配いりません」

 そうなるために仕事をしているわけで、つまりこんな肩書の大臣が不要となることが望ましい。今はあくまでも過渡期であって、こんな大臣が無用の存在になり、地方が自ら戦略を立て、PDCAサイクル(Plan〈計画〉→Do〈実行〉→Check〈検証〉→Action〈改善〉のサイクルのこと)を回し、住民を幸せにしていける状況になればいいと思います。

「今のままでいいじゃない」
面倒くさがる人たちの罪

 多くの成功例、挑戦例は、言うまでもなくやる気のある人たちの力によって成し遂げられたものばかりです。もちろん、地方でも必ずしもやる気のある人ばかりではないでしょう。

「面倒くさい」
「そんなことやらなくても」

 こういった反応が返ってくることは珍しくありません。

 私自身、若い頃からあれこれ提案しては、反対されてきました。

「いいじゃない、今のままで」

 地方に余裕があった頃はそれでもよかったのです。しかし、このまま何もしなければ地方は無くなってしまいます。