日本の強みと世界のそれを異結合させるには?

 

なぜいま「シン日本流経営」が必要なのか──

日本流経営は優れた元型を持ち、利他心、人基軸、編集力という日本ならではの「本(もと)」を軸に守破離(しゅはり)を繰り返し、世界で存在感を示してきた。では、なぜ多くの日本企業がそれを見失い、平成、令和という2つの時代を通じて競争力を低下させ続けることになったのか。

「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と持ち上げられたのもつかの間。バブル崩壊とともに一気に自信喪失に陥り、アメリカ流の株主至上主義に思い切り舵を切っていった。日本流を封印し、「世界標準」モデルを取り入れようとした結果が、平成の失敗を招いてしまったのである。

そもそも世界標準というものは、世の中に存在しない。取り返しがつかなくなる前に、我々は日本流の本質を取り戻し、それを「シン日本流」にアップデートさせる知恵を発揮しなければならない。 

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過去から未来を紡ぎ出す

シン日本流についてさまざまな切り口から論じてきた。シン日本流は単純化された経営理論でも、目新しいだけの競争戦略でもない。DNAのごとく刻み込まれた日本特有の「流儀」を、学習と脱学習を繰り返すことにより変態させていく、一種の運動論である。

日本の強みと世界のそれを異結合させるという目指すところは同じでも、そこにたどり着くまでのアプローチの仕方は、それぞれの企業やその時々の環境によって異なる。

日本の強みと世界のそれを異結合させるには?名和高司 Takashi Nawa
京都先端科学大学 教授|一橋ビジネススクール 客員教授
東京大学法学部卒、ハーバード・ビジネス・スクール修士(ベーカー・スカラー授与)。三菱商事を経て、マッキンゼー・アンド・カンパニーにてディレクターとして約20年間、コンサルティングに従事。2010年より一橋ビジネススクール特任教授(2018年より客員教授)、2021年より京都先端科学大学教授。ファーストリテイリング、味の素、デンソー、SOMPOホールディングスなどの社外取締役、および朝日新聞社の社外監査役を歴任。企業および経営者のシニアアドバイザーも務める。著書に『学習優位の経営』(ダイヤモンド社、2010年)、『パーパス経営』(東洋経済新報社、2021年)、『稲盛と永守』(日本経済新聞出版、2021年)、『資本主義の先を予言した 史上最高の経済学者 シュンペーター』(日経BP、2022年)、『桁違いの成長と深化をもたらす 10X思考』(ディスカヴァー・トゥエンティワン、2023年)、『超進化経営』(日経BP 日本経済新聞出版、2024年)、『エシックス経営』(東洋経済新報社、2024年)、『シン日本流経営』(ダイヤモンド社、2025年)など多数。

何を自社の本質的な強みと見定め、それを軸足に、どこにピボットするのか。一方で何を手放すのか。その答えを、欧米流の擬態経営に求めることはできない。これまでケースとして紹介してきたシン日本流を実践する企業がそうであるように、みずから見つける以外にない。

しかし、その手がかりは過去に見出すことができる。進化の本質は、過去から未来を紡ぎ出すことにある。ありもしない世界標準を追い求めるのではなく、日本流を覚醒させ、自社ならではの方法で磨き込むことが変態の足がかりとなる。

では、我々はシン日本流を身につけたうえで、どのように未来を拓いていけばいいのか。そして、それをいかに世界に広めていけばいいのだろうか。

まず「未来」、すなわち時間軸について考えてみたい。

欧米流の経営論は、初めに未来の「あるべき」姿を描き、そこから何をすべきかを考えよ、と説く。「バックキャスティング」と呼ばれる手法だ。そのためには、まずは目指すべき「北極星(North Star)」を高く掲げなければならない。

しかし、日本人の多くはこのような演繹的な思考法を苦手とする。拙著『パーパス経営』(2021年、東洋経済新報社)は、副題に「30年先の視点から現在をとらえる」と謳っている。しかし、筆者が日本企業のパーパス策定をお手伝いする際、まずこの出発点でつまずくことが少なくない。この手の「跳んだ」発想は、帰納的な思考を得意とする日本人には、いかにも非現実的に思えてしまう。

そこで筆者は、「白昼夢(Day Dream)セッション」をおすすめしている。できれば本社から遠く離れたオフサイトが望ましい。幹部だけでなく、多様な世代、特に若者が加わることが肝心だ。そこではあらゆる制約を排除して、童心に返ったつもりで「ワクワク」する未来を夢想してもらう。日本人ならば誰しも、そのようなアニメの世界に胸を膨らませた記憶があるはずだ。

しかも、それは「北極星」のような画一的なものである必要はまったくない。数年前、ジャカルタでパーパスワークショップを実施した際、「ここでは北極星は見えません。南十字星(Southern Cross)ではだめですか」と問われて、「北半球バイアス」に陥っている自分を恥じた。以来、「星座群(Constellations)」と呼ぶことにしている。誰の目も気にせずに、思い思いの「あったらいいな」を描いてもらう。

その際には、「常識」という名の自縄自縛を封印して、自由な発想を解き放つ必要がある。仏教でいうところの「解脱」である。そうしてみると、そこには「悪」ではなく、「善」が潜んでいることに気づくはずだ。