江戸幕府で老中を勤めた田沼意次といえば、賄賂政治をおこなった悪徳政治家として語られてきました。意次しかり、「殺生関白」の異名をとった豊臣秀次や、赤穂浪士によって討たれた吉良上野介など、日本の歴史上、「悪人」のレッテルを貼られた人物は少なくありません。しかし、彼らは本当に「悪人」だったのでしょうか。大河ドラマ『べらぼう』でも描かれている田沼意次の、従来のイメージとは離れた実像を『「逆張り」で暴く 不都合な日本史』(青春出版社)から読み解きます。

賄賂政治では語りきれない人間像

【大河べらぼう】悪名高い田沼意次は有能だった?人気の松平定信の改革は大失敗!これまで渡辺謙さん演じる田沼意次は悪名高かったが、大河ドラマ「べらぼう」では一味違ったイメージで描かれている(写真は成田山新勝寺の節分会に参加した渡辺さん) Photo:SANKEI

 賄賂(わいろ) 政治といえば真っ先に「田沼意次(たぬまおきつぐ)」の名があがるほど彼の悪名は高い。意次は徳川十代将軍家治(いえはる)に仕え、側用人(そばようにん)から老中にまで出世し、二十数年間にわたって権勢をふるった。その間を“田沼時代”と呼ぶが、後世の評価は低く、賄賂が横行し世の中の道徳観が乱れた時代であったという。そうした混乱を招いた張本人こそ意次だというのである。

 意次の後に登場し「寛政の改革」を断行した松平定信(さだのぶ)には対照的に清廉潔白な人物という印象が強い。それに割を食った形で意次の印象が余計に悪くなったようである。

 しかし、意次は本当に悪徳政治家だったのだろうか。とかく賄賂ばかりが強調される意次だが、調べてみると大胆で進歩的な政策を実施し、幕府財政の再建を図ろうとした有能な政治家であったという側面も見えてきた。

 ではなぜ、彼は賄賂政治の権化(ごんげ)という汚名を着せられたまま失脚してしまったのだろうか。ここは意次の言い分を聞かなくてはなるまい。