これは前代未聞の事件である。1924年に、有名なウィリアム・アレン・ホワイト(編集部注:地元新聞「エンポリア・ガゼット」の編集者)がカンザス州知事選で同じように無所属で立候補したが、彼の場合は、投票用紙に名前が印刷されていたにもかかわらず、わずか14万9000票しか得られなかった。

 ブリンクリーは遅くに選挙戦に参加したが、ラジオを活用し、飛行機で各地に出かけて遊説することで、これまでカンザスで選挙演説を行ったいかなる政治家よりも、多数の聴衆を集めた。ローズヴェルト、ブライアン、ウィルソン、アル・スミス(編集部注:民主党の大統領候補)のいずれも、聴衆の数ではブリンクリーには勝てていない。

ブリンクリーの活動は
現代選挙戦の先駆けとなった

 ブリンクリーは高潔な道を進もうと決め、あと2年を待つことにした。

 それでも、カンザスのあらゆる層の人間は、ブリンクリーが本来得るべき票数を不正な手段で奪われたのだとわかっていた。後に知事に就任したハリー・ウッドリングでさえ、「無効にされたすべての投票用紙が数に入っていたら、ブリンクリーが選ばれていただろう」と認めている。最終的にはハウケもそれを認めた。

 実際には、ブリンクリーの選挙運動は多くの偉業を成し遂げていた。いったん世間の常識からはずれて革新的な行動をすれば、恥辱は恥辱でなくなると証明したのもそのひとつ。

 しかしながら、後世まで残る彼の真の偉業は、政治とラジオの融合、そして飛行機の活用である。

 票を獲得するために、ラジオ放送を巧みに活用し、飛行機で人々の耳目を引く。現代選挙戦の先駆けとなる新しい選挙運動を展開したことにあった。

 ヒューイ・ロング(編集部注:元アメリカ合衆国上院議員)、テキサスのパピ・オダニエル(編集部注:テキサス州知事)をはじめ、それ以降、多くがブリンクリーの手法を選挙運動に取り入れるようになるのである。