ブリンクリーを叩き出せ!
投票3日前の規則変更
「ミルフォードの奇跡を起こす男」(編集部注:ブリンクリーのクリニックは、カンザス州ミルフォードにあった。自身を受難のキリストに見立てた演説で支持を広げるブリンクリーを揶揄する表現)は、ウィチタ(編集部注:カンザス州最大の都市)の公共広場で、大規模な決起集会をひらいた。
集まった群衆はあらゆる年齢層、社会階層(「ミンクやアザラシの皮が……もっと安価な布地と袖をすりあわせ」)にわたり、主要政党のリーダーたちはパニックに陥って、土壇場で額を集めて相談することになった。
そのまんなかにいるのは州医療委員会の公聴会(ブリンクリーにいわせれば、「ゲッセマネの園」〈編集部注:キリストがユダの裏切りによって逮捕された場所〉)で検察官を務めた、州の司法長官ウィリアム・A・スミス。
この選挙戦からブリンクリーを叩き出す術がないものかとみんなで知恵を絞ったところ、ひとつの案が浮かび、これならいけると期待した。1930年11月1日、投票日の3日前にスミスは記者団にそれを発表した。
記入式投票に関する規則は変更されている。投票用紙に印刷されていない候補者(編集部注:ブリンクリーの立候補は急だったため、投票用紙への印刷が間に合わなかった)に投票する場合、用紙にその氏名を書きこまねばならないが、「投票者の意志」がわかればよしという、カンザス州最高裁判所が設定した基準はもはや通用しない。
よって、ブリンクリーに投票したい有権者は、J.R.BRINKLEYと正確に記さねばならず、そうでないものは無効になると、スミスは記者団に宣言した。
これはアメリカ民主主義の伝統に完全に反するものであり、これまでよく行われてきた選挙操作に当たるが、投票日3日前となっては抗議する時間もない。
そこでブリンクリーは新しい規則をラジオでリスナーに広めるとともに、自分の氏名の正しい綴りを刻印した鉛筆を数千本も配布し、最後の集会ではチアリーダーを導入して、群衆にスペルを叩きこんだ。
「ジェイ、ピリオド!アール、ピリオド!……」