そこに至って、とうとう時の人、「民衆の代表」である人物が、白いスーツの胸元に大きなヒマワリを飾って登場。群衆の興奮は永遠に収まらないと思えたが、会場がようやく静まってブリンクリーが話をしようと口をあけたとたん、舞台袖から、小公子ばりの盛装をしたジョニー・ボーイが走ってきて父の脚に抱きつき、またもや大歓声が上がるのだった……。

 モリス・フィッシュベイン(編集部注:米国医師会が発行する医学雑誌「JAMA」の編集主幹。偽医療撲滅に取り組み、ブリンクリーの医療詐欺を追及していた)のほうは、少なくとも表向き、この件には注意を向けないと態度を決めた。選挙戦への出馬といっても、「世間の注目を浴びたがる偏執狂的な男が、また新たな舞台を見つけただけだ」と一笑に付した。プロの政治家たちも、依然として嘲笑している。

飛行機に乗り、ラジオを使い⋯
革命的な選挙運動

 ところが、それから日が経つにつれて人々は気づきだす。おやおや、ブリンクリーはサーカスがめっぽう得意なだけでなく、パンを約束するのもうまいようだと(編集部注:「パンとサーカス」は基本的な食料と娯楽を提供することで国民の不満をごまかすことを)。

 うまいというのは、無料の教科書、低い税金、老齢年金、もっと多くの恵みの雨といったものを選挙民に約束するときの、まったく新しい見事なやり方だった。華麗な飛行機は、豪華な劇場として機能するのみならず、候補者が握手をする手の数を驚異的に増やした。

 飛行機に乗っていないとき、ブリンクリーはラジオの電波に乗っている。これまで誰も想像しなかったスケールで、彼は政治に放送を結びつけたのである。

 そうでなくても忙しいのに、依然として1日平均5時間は局にこもって、有権者の耳に自分の声を徹底的にしみこませている(珍しく移動しなくていい日には、朝6時45分から深夜遅くまでマイクの前にすわりっきりだったと、ある新聞が報じている)。

 さらに移民の有権者たちにも声が届くよう、局に代理人を数名おいて、スウェーデン語やドイツ語で放送もさせた。

 働けば働くほど楽しくてしょうがないようで、著名な記者に立候補を問題視する記事を書かれると、その人物にヤギを1匹送りつけたりもしている。

 その騒々しいまでに精力的な選挙運動はまさに革命というべきで、これまで数々の評判をとってきたブリンクリー本人も経験したことのないレベルで、全米の政治家や一流の記者たちの耳目を引いた。政治家たちはブリンクリーのやっていることを研究しだした。