川原卓巳さん提供写真

片付けのカリスマである“こんまり”こと近藤麻理恵氏が大事にしている「ときめきセンサー」。自然から離れ、人間らしさを失いがちな生活をしている都会人が、「ときめきセンサー」を取り戻すには、どうしたらいいのか。近藤麻理恵氏を世界の「KonMari」にまで押し上げたプロデューサーである川原卓巳氏が解説する。※本稿は、川原卓巳『人生は、捨て。自由に生きるための47の秘訣』(徳間書店)の一部を抜粋・編集したものです。

ウォール街の金融マンの
“熱心なジム通い”が不自然な理由

「ときめきセンサー」は使わないと錆びついてしまいます。しかも一度使わなくなると、そもそもそんなセンサーがあること自体も忘れてしまう。ときめきが大切だと気がついたならば、どんどん意識的に発動させていきましょう。

 特に都市生活者はときめきセンサーを使う機会が少ないです。いや、ほぼないと言ってしまってもいいかもしれません。損か得か。これは効果的なのか。それは効率的なのか。気づくとそんな基準で判断するように促されていきます。だからこそ、なおさら強く強く意識的になる必要があります。

 近年、都会の人たちを中心にアウトドアやジョギング、サウナがブームです。自然に触れる。あえて身体を酷使する。そうして自分が本来持っている生きるためのセンサーや五感を取り戻したい。そんな本能のあらわれだと思います。

 アメリカのウォール街で働くビジネスパーソンたちはジム通いに熱心です。その理由が僕にはよくわかります。

 お金というのは、人類が生み出した究極の人工的産物です。そんな人工的産物を右から左へ大量に動かすのは、人間にとって生き物としてきわめて不自然な行為とも言えます。

 ウォール街の人々は、大金を動かすというとてつもないプレッシャーとストレスに日々さらされている。だからジムに通い、身体性を刺激してなんとか心とカラダのバランスを保っているのです。

 仕事でウォール街近くのホテルに宿泊した際、近くのジムに行ったことがあります。僕は時差ボケもあったので朝早くに開いているジムを見つけて行ったのですが、そこには朝5時の時点であふれ返るほどの人がいました。みんな一心不乱にトレーニングに打ち込み汗を流す。そうして1日をスタートすることが日常的に行われているようでした。

 一見すると健康的な生活のように見えるかもしれません。しかし、実際にその場に居合わせた僕の感覚からすると、それはヘルシーではなく無理やり組み込んだ生きるための生命維持活動のように見えました。なにかを振り払うかのように自分を追い込み、自分を取り戻すために必死なのだと感じました。

今や地方に住む人の方が
歩かなくなっている!?

 僕は広島の田舎の豊かな自然に囲まれて育ちました。学校が終わるといつも友だちと野山を走り回って遊んでいた。海で牡蠣を踏んで足を切ったときには、じいちゃんが傷口にヨモギを擦り込んでくれながら「たくみ、男なら泣くな」と背中をたたいてくれました。