ケンドーコバヤシPhoto:SANKEI

人間同士は本来助け合って生きるものなのに「何でも自分でやるべきで、人に頼ってはいけない」と思ってしまうことに生きづらさの源がある。そんな人が人生を変えるために提言したいのが、「自分を捨てること」だ。自分を捨てて何かに一心不乱にのめり込むことで、想像を大きく超えた人生がつくられる。片付けコンサルタントの近藤麻理恵氏を世界の「KonMari」にまで押し上げたプロデューサーが、その極意を語る。※本稿は、川原卓巳『人生は、捨て。自由に生きるための47の秘訣』(徳間書店)の一部を抜粋・編集したものです。

ケンドーコバヤシが
筋トレを始めた理由

 人の役に立つ方法は、実にたくさんあります。人気お笑い芸人のケンドーコバヤシさんは数年前から筋トレに励んでいるそうです。多いときには週5回、ジムに通う。彼が筋トレをやろうと思い立ったのは40代なかばのころ。その理由が印象的です。

 あるときふと、「もしも日本になにかがあったとき、近所にいる幼稚園児を何人か担げたらいい。なるべく多くの子どもを担いで助けられるようになりたい」と思ったからだそうです。

 僕はこのエピソードが大好きです。人の役に立つとはどういうことか。それをよくあらわしているように思います。

 すぐに人の役に立つことでなくても「いつかこの行為が役に立てばいい」という想いをもって、日々の行動を少し変えてみる。それ自体がすでに人の役に立っているのです。

 ほんの些細なことでかまいません。たとえば、誰かの話をちゃんと聞いてみるだけでもいい。たとえ「聞いているふり」だとしても、相手が喜んでくれる以上は、役に立っているのです。

 実は、この人の役に立ってみるというのは、「承認欲求を欲する」の逆の概念でもあります。誰かに認められたくて動くのではなく、誰かに認められるかどうかは置いておいて、自分が役に立ちたくて動く。その結果として役に立てていれば嬉しいし、そうでなくても自分が満たされる。そんな状態です。

 おすすめなのは「新しくなにかに参加すること」です。

 趣味のサークルに参加してみれば、主催者側は参加者が増えていい気分になるし、参加者の人たちも新しい仲間が入れば盛り上がって、楽しい気分になります。

 参加しているだけで、存在しているだけで、所属しているだけで人の役に立てる。そんな場が、いまはどこにでもあります。

なぜ日本人は
人に頼れないのか

 人の力を借りられない。頼れない。話を聞いていると、そんな人がとても多いです。日本では幼いころから、「自分のことは自分でやりなさい」と育てられ、人に迷惑をかけないことを善として言われ続けます。その結果、誰かに頼ることは悪であると定着しました。

 僕もそうでした。厳しく育てられたことで、自分のことを自分でできないのは良くないことだと染みついていました。そして、なにかができないのは自分の努力が足りないからだ、努力できない自分は価値がない。そんなふうに思っていました。

 でも、うまく生きていけるようになって気がついたんです。あれ?僕は人に頼れるようになってるなーって。そして、頼りにすることで、それを生き甲斐として生きてくれている人と一緒に生きていけていることに。