「自分が社会にどう貢献できるか?」という問いかけ

 大企業に入社し、仕事への意欲も旺盛だった大谷さんだが、「自分が社会にどう貢献できるか?」という問いかけが常に頭の中にあった。

大谷 三井不動産で一生懸命に仕事を続けたものの、私は、言われたことを素直に聞けなかったり、「組織人」としてなじまないところがありました。おそらく、会社員という立場が、私にとっては苦手なもの、得意ではないことだったのでしょう。そして、一度きりの人生で、「自分が社会にどう貢献できるか?」を考えたとき、会社員ではなく、起業して経営者になることだと思いました。ただ、経営が得意かどうかはわかりません。起業して成功する保証もありません。当然、親族には強く反対されました。大企業の会社員を続ければ、父や母は安心するでしょう。でも、「独立したうえで親孝行ができればいい」――私はそう考えて、起業する意思を貫きました。

 大谷さんは、学生時代に不動産業界で働くことを強く望んでいたわけではない。不動産の仕事にたまたま巡り合ったようだが、起業するにあたっては、“自分の不動産”の存在が大きく影響した。

大谷 29歳のとき、祖父から相続した土地にアパートを建てました。母に、「(会社員としての)収入があるのだから、あなたが建てなさい」と言われたからです。初めは嫌だったのですが、しかたなく。一方で、「30歳になったら、たとえ、事業の内容が決まっていなくても、会社を辞めよう」と考えていました。そして、その30歳になる前の月に、いわゆる「郵政選挙」があったのです。時の小泉純一郎首相の「聖域なき構造改革」で、小泉さんが繰り返し発していたのは「自己責任」という言葉でした。それを聞いて、私は、日本が“不安な社会”になると思いました。格差の大きな社会になるだろう、と。高齢化による不動産の相続増加や、少子化によるアパート・マンションの空室増加に伴い、「不動産の売買が盛んになる」と予測しました。そうして、私自身がアパートを建てた経験から、収益用不動産を用いた資産運用がビジネスになるかもしれないと考えたのです。その頃、賃貸アパートを専門に事業展開している会社はほとんどありませんでした。特定のエリアで賃貸を行い、土地を売買する――“面での商売”が不動産屋の原則ですが、私の場合は賃貸アパートに特化して、広範囲なエリアでビジネスを行いました。社会の需要があって供給が少なかったことで、起業1年目に1億円以上の売上げを立てることができました。