たとえば、客家の伝統家屋とされる円形の土楼は、実は福建省の一部だけで見られ、他地域に住む客家の大部分は過去の時代を含めてこうした家には住んでいない。いっぽう、福建省では客家以外の漢族も同じような建物に住んでいる例があり、実は円形の土楼は客家に固有の文化ですらない。
客家の女性に固有の服装とされる「涼帽」も、香港の新界など一部の地域でしか見られない風習だ。いっぽう、往年の新界付近では客家以外の人がかぶっているケースもあった。
食文化については、客家料理(客家菜)という料理のジャンルは存在するが、製法や材料が他の中華料理と大幅に違うわけではない。
犬肉については他の華南の漢族にも食べる習慣がある。客家の全員が共有しているが他の漢族にはみられないような「固有の文化」は、意外なほどすくない。
また、勤勉で上昇志向が強いという客家の特徴は、華人(もしくは日本人や韓国人も含む東アジア人)の移民全体についても指摘される話である。
客家はもともと貧しい山岳地帯で暮らしていた民が多い。経済的に劣位の地域から立身出世を果たすために、勉強(科挙の受験)や運動(軍隊への参加)や商売を人一倍熱心におこなう人がいたのは、考えてみれば当たり前の話だろう。客家以外の出身者でも、同じ境遇のなかでがんばる人はいるはずだ。
「東洋のユダヤ人」という異名についても、実は広東省東部の潮汕人や福建省中東部のホ田〈ホは草冠に甫〉人、浙江省南部の温州人など、別の漢族の方言集団にもそれぞれ同じあだ名がある。
明清時代の中国南方の沿海地域に住む人たちは、客家に限らず海外への出稼ぎに熱心で、世界中にコミュニティを作ってきたからだ。
いっぽう、一族の祖先が中原で暮らしていたという話は、確かに客家のあいだで言い伝えられている。
ただし、実はこちらも広府人や潮汕人・ビン南〈ビンは門構えに虫〉人・福州人(それぞれ、広東語・潮州語・ビン南〈ビンは門構えに虫〉語・福州語を話す方言集団)など、華南の他の漢族にも似たような伝承がある。