資格を取ったあと、陸自や海自へ出稽古に行く救難隊員も
山:資格を取った後も、厳しい訓練は続きます。陸(自)さんの第1空挺団空挺レンジャー課程や、海(自)さんの第1術科学校スキューバ課程に入校して資格を得る隊員もいます。言わば出稽古ですね。


F:うぅ……すごい。泳いで走って山に登って空から飛び降りて海に潜って……正に超人。スーパーマン……。
山:強いですよウチの連中は(笑)。鍛え方が違いますから。そんな我々のモットーは、「That others may live(他を生かすために)」。これは、アメリカ空軍救難隊が創設時から使っているエンブレムに描かれた天使の言葉と同じものです。もともと極東に配置された米軍の救難組織が使っていたのと同じモットーです。とにかく生かす。生きて帰す、という思いが込められています。

航空自衛隊の救難隊が作られた経緯
F:空自の救難隊は、米軍の救難隊をモデルに作られたのですか?
山:戦後、自衛隊の発足直後は、乗員の救助等は米軍に依存する部分が多かったと聞きます。それを、自衛隊のことは自前でやろうと設立されたのが空自の救難団です。最初は浜松で発足しました。

F:救難のメソッド等は、米軍にならっているのですか?
航空救難団 那覇救難隊長 2等空佐 亀澤純さん(以下、亀):今は自前が多いですが、最初の頃はたくさん習いました。やはり米軍はノウハウをたくさん持っているので。今でも時折協力を得たりもしています。
F:米軍(救難隊)は空軍ですか?
亀:空軍です。米軍嘉手納基地内にあり、地理的にも近いので、我々もいろいろとやりとりがあります。今週も行く用事があるんじゃなかったかな。一緒に訓練をするので、その調整のために行き来をしたりしますね。
次回は救難探索機、U-125Aの搭乗リポートをお送りします。お楽しみに!
(フェルディナント・ヤマグチ)