どんな外部環境に置かれても、生き残り続ける強い会社にしなくてはいけないと、怪文書から学んだ。そして翌年、V字回復した利益分は賞与として社員に還元した。
もう1つ、怪文書を通じて改めて心に刻んだことがある。それは、社員にはそれぞれ人格があり、1人ひとりを大切にしなくてはならないということだった。ごく当たり前のことだが、いつしかその意識が薄れていた。
そこで、怪文書では「幼稚園なみ」と揶揄されたバースデーランチをあえて復活させた。震災後はランチ会を中止していた。再開しなかったのは震災が理由ではなく、欠席者が多くなり私自身が開催する目的を見失っていたからだった。
バースデーランチの目的は、社員に、社長である自分の人となりを知ってもらうことではなく、私が皆を良く知り、1人ひとりに感謝を伝えることだ。怪文書では「私たちの何が分かっているのか」と問われた。社員のことを完璧に理解することはできない。だが、分かろうという努力は続けるべきだ。

怪文書から学んだことを忘れてはいけないと思い、私は文面をコピーしてノートに挟んだ。そして数年間持ち歩き続けた。あるとき、このことが白井先生(編集部注/民事再生手続をサポートした弁護士団の1人、白井徹氏)にばれた。「もう、そんなことにこだわらなくてもいいんじゃないの」と言われたのを機に、怪文書のコピーをシュレッダーにかけた。今となっては、あのとき開いた緊急会議の記憶もセピア色に映る。
社員の気持ちが理解できるかと問われれば、それは永遠に難しいだろう。そして、社員の気持ちが分かるAI(人工知能)ができたとしても私は使わないだろう。人の心はコントロールできない。再び怪文書が出回るようなことが起きても、社員との間にどんな軋轢があっても、すべてを自分の肥やしにし、危機を乗り越えていけるしたたかな経営者に成長しなくてはいけないのだ。