「もういいよ、好きにしてくれ」メインバンクの「世襲NG」で絶体絶命…1400億円の負債企業を救った“弁護士のまさかの一言”写真はイメージです Photo:PIXTA

1991年のバブル崩壊で人々のゴルフ熱は冷め、鹿沼カントリー倶楽部は経営の危機に瀕した。同社を立て直すため、福島範治は創業者でワンマン経営者だった父の後継者となった。しかし、メインバンクの足利銀行からは「世襲」を理由に融資を渋られる。絶体絶命の中でとった福島氏らのチームの行動とは。※本稿は、福島範治『負債1400億円を背負った男の逆転人生 鹿沼カントリー倶楽部再生物語』(日経BP)の一部を抜粋・編集したものです。

審査結果は「否」
命運は尽きたか

 足利銀行はいつでも協力的だった。私が入社したときから民事再生法の適用申請に至るまでの間、いつも近くに寄り添い支援してくれた。出向者もいい人ばかりで、親身になって助けてくれた。地方銀行とは、地域企業を支援するという大義名分に、これほど忠実に応えてくれるのかと思うことも多かった。

 しかし忘れたわけではなかったが、私たちは不良債権の債務者だった。そして足利銀行もまた、一時国有化という危機的状況の下、行員1人ひとりが苦しい日々を余儀なくされていた。足利銀行自体が預金保険機構の監督下にあったことから、大型案件は業務監査委員会が判断することになっていた。

 そして、私たちとの別除権(編集部注/事業継続に必要な担保権の取り扱いのことで、再生債権とは別枠で権利を行使して、優先的に弁済を受けられる)協定に関する1回目の審査結果は「否」だった。委員の中に強硬に反対する人がいて、満場一致にはほど遠いという話だった。

 私は言葉を失った。そもそも約1200億円という巨大な負債を抱えた会社が再生できると考えるほうがおかしかったのか。私は夢を見ていただけなのか。これで命運が尽きたのか――。