鹿沼カントリー倶楽部鹿沼カントリー倶楽部 Photo:天神木健一郎

ゴルフ場経営を主軸とした鹿沼グループは、幾度ものゴルフブームを背景に急成長。ゴルフ場のみならず、アスレチッククラブ、レストラン、サウナなど多くの会社を所有したが、1991年のバブル崩壊とともに、経営は傾いていった。そんな経営危機を救うべく創業者の息子、福島範治氏は勤めていた銀行を辞め、後継者として再建に乗り出した。そこで福島氏が見た会社の闇の部分とは。※本稿は、福島範治『負債1400億円を背負った男の逆転人生 鹿沼カントリー倶楽部再生物語』(日経BP)の一部を抜粋・編集したものです。

宇都宮のレジャービルが抱えた
解除不可能な契約

 光と影、太陽と月、陰と陽。

 何事にも、目に見える正しい面と目には見えない、見てはいけない負の面がある。改革にも影、つまり闇の部分がある。ある人は、成功という光が強いほど、影という闇が深くなると言っていた。私の父は、成功と社業の発展という30年の間に深い闇を抱え込んでいた。どんな思いで闇に対峙していたのか。経営者として、父の心境に思いを馳せると胸が苦しくなる。

 書き残さなくてはならない、経営再建期での闇がいくつかある。その1つが反社会勢力との関係だ。

 関連会社に、レストランや会員制倶楽部を経営していたVIVIがあった。VIVIは六本木のほか宇都宮にもあった。宇都宮のVIVIは栃木県庁近くの6階建てのビルにあった。1棟すべてがVIVIの所有施設で、各階にレストランやサウナなどがあった。赤字部門だったが、ゴルフ場からのわずかな資金支援で何とかしのぎながら営業を続けていた。

 グループ再建のために、この宇都宮VIVIを閉鎖し、建物を売却することにした。VIVIの支配人は人が良く、一方で何かに悩んでいる様子だった。