日本の大学への留学という、人生の大きな選択
朱さんは2000年に北京で生まれた。北京は中国の政治経済の中心であるが、経済格差の激しい街でもある。朱さんは、北京市民の暮らしの大きな格差を肌身で感じ、自分の身が引き裂かれているような感覚を経験しながら育った。そのせいか、周囲と馴染むことができずに幼少時代を過ごし、中学3年のとき、自宅で高校入試の受験勉強をしているうちに、とうとう、「学校に通いたくない」という気持ちを強く持つようになった。そうしたなかで、「日本に留学したい」という気持ちが育っていったのだという。
高校時代の朱さんは、沈んだ気分のまま学校に通い、「日本に留学する未来」に希望を見出だしながら過ごした。高校1年から日本語の勉強を始め、高校2年のときに高校卒業資格を得た。中国には、学校を早期に卒業することのできる制度があり、朱さんはその制度を利用したのだ。朱さんの父は、日本への留学に猛反対をしていたが、母の加勢も得て、父をなんとか説得した。そうして、朱さんは、高校卒業資格を得た年のうちに来日し、東京の日本語学校に入学した。
1年半にわたる、日本語学校での猛勉強の結果、朱さんは2020年度入試で神戸大学に合格した。神戸大学国際人間科学部を選択したのは、地味なWEB情報ページに、見たことのないカリキュラムが並んでいて、直感的にここだと思ったからだ。1つの学科で心理学から芸術学までさまざまな領域を専門的に学べるということは、朱さんにとって大きな魅力だった。他に受験した大学はすべて不合格だったうえに、神戸大学国際人間科学部の留学生の受け入れが毎年1~2人ととても少ないことも心配だったが、無事に合格することができた。
大学に入学してからの朱さんは、同世代の日本人に囲まれて過ごした。神戸大学では、「外国人留学生だから」という理由で嫌な思いをしたことはなかったものの、言葉の壁はずっと感じてきたし、無力感に悩んだこともあったという。朱さんが大学に入学したのが、コロナ禍で対面授業ができない日の続いた年だったこともあり、孤独も感じていた。そんな厳しい状況の中でも、朱さんは「周囲の日本人の個性的な友だち」に救われたと感じている。同学年の友だちもまた、朱さんと同様に、自分のやりたいことを言語化できず、「願望は強くあるけど、表現できない」といったようなモヤモヤを抱えてもがいていた。そうした友だちと語り合っているうちに、「自分だけが悩んでいるのではない」ということに気づいたのだという。
学年が進んで3年生になった朱さんは、「筋肉の協調性」を研究している理系の研究室を選んだ。選択できるゼミをすべて回って調べたが、脳から筋肉に指示を出す仕組みは、さまざまな事柄に応用できそうな原理を含んでいるように感じ、そのゼミで学ぶことを決めた。卒論では、前脛骨筋(膝から足首までの下腿部前面の筋肉)を扱い、指導教員から厳しい指導をしてもらった。その厳しい指導も、現在の自分の生活にとても活きていて、ありがたく感じている。