大学から力強く巣立っていく外国人留学生が、企業で活躍するために…

学生をはじめとした若者たち(Z世代)はダイバーシティ&インクルージョンの意識が強くなっていると言われている。一方、先行き不透明な社会への不安感を持つ学生も多い。企業・団体はダイバーシティ&インクルージョンを理解したうえで、そうした若年層をどのように受け入れていくべきなのだろう。神戸大学で教鞭を執る津田英二教授が、学生たちのリアルな声を拾い上げ、社会の在り方を考える“キャンパス・インクルージョン”――その連載第18回をお届けする。

* 連載第1回 「生きづらさを抱える“やさしい若者”に、企業はどう向き合えばよいか」
* 連載第2回 ある社会人学生の“自由な学び”から、私が気づいたいくつかのこと
* 連載第3回 アントレプレナーの誇りと不安――なぜ、彼女はフリーランスになったのか
* 連載第4回 学校や企業内の「橋渡し」役が、これからのダイバーシティ社会を推進する
* 連載第5回 いまとこれから、大学と企業ができる“インクルージョン”は何か?
* 連載第6回 コロナ禍での韓国スタディツアーで、学生と教員の私が気づいたこと
* 連載第7回 孤独と向き合って自分を知った大学生と、これからの社会のありかた
* 連載第8回 ダイバーシティ&インクルージョンに必要な「エンパワメント」と「当事者性」
* 連載第9回 “コミュニケーションと相互理解の壁”を乗り越えて、組織が発展するために
* 連載第10回「あたりまえ」が「あたりまえではない」時代の、学生と大学と企業の姿勢
* 連載第11回「自由時間の充実」が仕事への活力を生み、個人と企業を成長させていく
* 連載第12回 “自律”と“能動”――いま、大学の教育と、企業の人材育成で必要なこと
* 連載第13回 特別支援学校の校長を務めた私が考える、“教え方と働き方”の理想像
* 連載第14回「いかに生きるか」という問いと、思いを語り合える職場がキャリアをつくる
* 連載第15回 なぜ、学生たちは“ボランティア”をするのか?――その背景を知っておくことが大切
* 連載第16回 手軽になった動画ツールや情報は、私たちの学びにどのような影響を与えるか
* 連載第17回 韓国の大手企業が知的障がい者の劇団と取り組んだ研修――その目的とは?

ある外国人留学生の神戸大学での5年間の学び

「この授業は、大学での5年間の歩みを振り返る貴重な機会にもなりました。コロナ禍の最初の2年間は完全遠隔授業で、友達もなかなか作れず、もどかしい日々が続きました。その後、半年間休学し、何もせずにお日様に背中を向けて、瞑想にふける日々を過ごしました。復学後も、明確な目標や進路が見えない日が続きましたが、そんな憂鬱な日々の中でも、いろいろなことについて考えることだけはやめませんでした。その後、多くの人との出会いに恵まれ、結婚や夫との共同経営を経験し、その成果をこの授業で報告することができました。振り返ってみると、長いようで短かった5年間、後悔もあれば成長もたくさんありました」

 これは、この春まで神戸大学の外国人留学生だった朱繊雨(しゅ・せんう)さんが書いた、「社会教育計画論」という授業の最終レポートの一部である。朱さんは、まさにコロナ禍の真っただ中にあった2020年の春に神戸大学国際人間科学部に入学してきた中国人留学生で、1年間の休学を含めて5年間、私たちの学部で学び、卒業していった。

「社会教育計画論」は、学校以外での学びに意識を向けることを主旨とした入門的な授業で、大学1年生を主な対象として開講している。朱さんは、最終学年になって、ようやく「社会教育」を自分自身の切実な問題と考えるようになり、この授業を履修した。私はそれまで、朱さんを大勢の学生のうちの1人としてしか認識できていなかったが、この授業で課した「フィールドワーク課題」を通して、朱さんの人間的な魅力を知ることとなった。

 フィールドワーク課題は、「みなさんの身近な地域で、人々が集まって学ぶ機会を提供している施設などを訪問し、概要を把握したうえで、実際に学んでいる人たちや、学びをコーディネイトしている人たちと出会い、その学びについての情報をできるだけ多様な角度から得る」というものだった。学生たちは思い思いのフィールドに出かけ、そこで得てきた体験や情報を報告し合った。朱さんは、その報告の中で、ひときわ生き生きと語り、他の学生たちの注目を浴びていた。

 朱さんは、「地域医療と異文化理解の場としてのクリニックの取り組み」と題して、朱さん自身が挑戦している取り組みを題材とした考察を行った。その内容は、開業医として働く朱さんの夫との二人三脚で、「多文化共生クリニック」を目指しているというものだった。

 インバウンドの観光客が増えるなか、特にインフルエンザが流行した時期などは、体調を崩したたくさんの外国人が朱さんのクリニックにやってくるようになった。不安を抱えた外国人の患者たちが、中国語で対応できる朱さん、英語で対応ができる(朱さんの)夫が支えることで、安心した表情になって帰っていくという状況が生まれた。その経験から、「多文化共生をテーマとしてクリニックを育てていく」という着想が生まれた。しかし他方で、海外観光客の患者への対応は手間がかかり、スタッフの負担も大きい。スタッフの協働意欲を維持しながら、「多文化共生」という理念を実現していくことに挑戦している――朱さんの報告はざっとこういった内容だった。