「家でずっとゲームしたい」
田舎はそんな願いを叶えてくれる

 中央車線を走っていると右から強引に車が割り込んできて、その直後左車線を走るタクシーが前方の駐車車両に気づいて右にウインカーを出し、割り込まれた直後のささくれだった気持ちの中2台も続けて入れるのは癪な気もする。

 しかし、心を菩薩にして「どうぞ」と入れてあげれば「ありがとう」のハザードはなく、後ろからはでかくて威圧的な車が明らかな意図をもって車間を詰めてきていて、「この野郎」と思っていたらすぐ前を走っていたタクシーが客を見つけて急ブレーキを踏む――こういう、沸点にずっと挑戦され続けているような状況が続くのが都会の道路である。

 田舎の高齢者の危険な運転は「高齢者はいたわりたい」「自分も齢を取ったらきっとああなる」などと自分に言い聞かせれば少しは落ち着くが、都会の複雑な道路状況下での他ドライバーのオラついた運転は、自分もまだオラつける年齢と性格だからか、衝突してしまって、なかなか心休まることがないのであった。

「出不精は田舎がいい」にはもうひとつ理由があって、それは「飲み会が断りやすい」である。

 筆者は田舎では知人がおらず、酒も飲めないので酒から距離を取っていたムーブをしていたこともあり「飲み会に誘われる」というイベントがそもそも発生しなかった。だが都会には旧友がいて、彼らが地方在住の私をぽつぽつと飲み会に誘ってくれる。

 彼らの顔を見るのはたしかに楽しく嬉しいが、誘われても遠路をおして向かうのは億劫であり、「家でゲームをしていたい」と思うことの方が多い。しかし断るにしても「家でゲームをしていたいから行きません」とは、大人としてなんとなく言いにくいので行くことにするのだが、田舎に住んでいると「遠くて行きにくいので行けません」といとも簡単に、ごく自然にお断りすることができるのである。

 飲み会に行かず家でずっとゲームしたい人や、歩数を極力減らして生きていきたい人は田舎がおすすめである。