さらに恋愛モノの少女漫画『彼氏彼女の事情』(津田雅美)にも役に立たないロボットが出てくる。主人公たちが通う高校の文化祭で、天才科学者と新型と旧型のアンドロイドが出てくる劇が演じられる内容。つまり、漫画というフィクションの世界の中に、もう一段階、演劇というフィクションの世界が存在する劇中劇の展開なのだ。
あらためて考えてみると、これらの「漫画だから描ける」「フィクションの世界にのみ存在する」ようなロボットは、非現実的・超人的なキャラクターを登場させるための存在と考えられる。では彼らは、たとえば「らぼっと」のような市場に実在するロボットと関係するのだろうか。
高度な科学技術を搭載するも
日常生活では……
実在するロボットについては、筆者が以前、お台場にある日本科学未来館に科学コミュニケーターとして勤めていたときにも実機をいくつか見てきた。
館内には、世界初の二足歩行ロボット「アシモ」や、人間の女性そっくりにつくられたアンドロイド(人造人間)、大阪大学教授の石黒浩さんらがつくったアンドロイド、産業技術総合研究所によるアザラシ型セラピーロボットの「PARO」などの展示や実演があり、ソニーの犬型ペットロボット「AIBO」が登場することもあった。
「アシモ」は、本格的な二足歩行を実現した高度な工学技術を搭載していることに加え、集客力が高く、アメリカのオバマ大統領(当時)の来館時に対面して歓迎の意を示すなど、コンテンツとしてとても役に立っていた。けれど、日常の生活で役に立つ場面があるかと言われれば、ちょっと微妙だ。
人間そっくりのアンドロイドも、展示として人目を引いていたし、テレビ番組に出ても面白い。しかしながら、「人間らしさ、生物らしさとは何か」という哲学的な探究をするためにつくられたロボットである以上、日常的に「役に立つ」ことを求めること自体がナンセンスだ。