ロボット好きな友だちが夢中になっていたロボットアニメの世界では、あっさりやられる雑魚ロボットを「やられメカ」と言うらしい。ダメそうなロボットと言えば、時代を遡れば、レトロコミックでは、森田拳次の『丸出だめ夫』には「ボロット」が出てくるし、石ノ森章太郎も『がんばれロボコン』を描いている。

 近年も、NHK Eテレの幼児向け番組「おかあさんといっしょ」の人形劇『ガラピコぷ~』のメインキャラクターに、ロボットの「ガラピコ」がいた。うさぎの「チョロミー」、オオカミの「ムームー」と一緒に、三者で友情を育んでいくストーリーは微笑ましいけれど、「役に立つ」とは趣旨が異なるだろう。

何をもって「役に立つ」
とするのか?

 実在するロボットにも目を向けてみよう。本田技研工業の「ASIMO」のようなヒューマノイドロボットも、技術的には確かにすごいけれど「役に立っている」かと言われれば、ちょっと微妙。というより、何をもって「役に立つ」とするのか、その定義に拠るだろう。

 2018年にデビューしたGROOVEX社による家庭用ロボットの「LOVOT」を紹介するインターネット記事の中には、「役に立たない、でも愛着がある」という見出しがついている。

 ロボットとは本来、人間の代わりに危険な作業や重労働を行うよう設計された「仕事をする機械」のことだったはず。だとすれば、仕事をしないロボットは、言葉を選ばずに言えば「役に立たないロボット」ということになる。

 にもかかわらず、私たちの身の回りには仕事をしないロボットがたくさん存在するし、キャラクター性が明確で各種メディアにも多く登場する彼らのほうが、産業の現場で黙々と仕事をこなす機械よりもむしろ、私たちにとって身近で「ロボット」という言葉からも連想しやすい。

 しかし少し冷静になると、本来のロボットとは異なる「役に立たないロボット」がこれほど生み出され、また、受け入れられている社会は不思議にも思える。